ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

37. 武者小路実篤の「新しき村」 ~人道主義に基礎を置く「自他共生」の思想~

新しき村は、文学者武者小路実篤創った、人生の自己実現を目指す理想郷である。


 この村は、武者小路実篤氏が提唱した「人間らしく生きる」「自己を生かす」生活、社会作りに共鳴した人々と共に始められた運動で、一言で言えば理想的社会を作る運動と言って良いでしょう。


 新しき村の精神の一つに、「全世界の人間が我等と同一の精神を持ち、同一の生活方法をとる事で、全世界の人間が義務を果たせ、自由を楽しみ正しく生きられ、天命(個性を含む)を全うする道を歩くよう心掛ける。」とありますが、理想社会の一人としての生き方が新しき村に住む者の心構えと言って良いでしょう。

 

 新しき村は、自分がよりよく生き、そのことで他人の役にも立ち、お互いの協力が生まれ、全体の生き生きとした共同生活が生まれることを目指して、働く処です。それが一番人間らしい生き方だと思って自己向上に努力している仲間です。

 

 

新しき村の国際的影響

 日本では白樺派として知られた武者小路実篤の新しき村思想は、実篤の著作や記事などを通して世界中で理想社会を建設しようと考える思想家や政治家たちにも影響していった。中華人民共和国の父と言われた毛沢東は、学生時代、魯迅の弟、周作人が中国に紹介した「新しき村」に出会い、長沙西岸の湘江をへだてる岳麓山のふもとに新しき村の建設をもくろみ、そこでどのように生活するか計画をたてていた。

 

しかしその時には地元の人間から理解されず実現にはいたらなかったが、後に毛沢東によって創設された中華人民共和国人民公社は、この「新しき村」からその発想を得たようである。


 1967年にNHKで紹介されたことにより多くの人が「新しき村」に関心をもった。その中でチベットからダライ・ラマも新しき村を訪ねてきている。


 ベン・ジョーンズというイギリス人は新しき村に滞在し、英語で新らしき村の紹介サイトを作っている。<Atarashiki-mura>
 また、韓国からも理想的な農村作りを模索する知識人たちが新しき村を訪ね、韓国での村づくりの参考にしている。


 また、1968年には、南米に理想郷を作ろうと70歳にして家族を連れて開拓移住を決行した岩手の伊藤勇雄という詩人思想家がいる。彼は若き頃、「新しき村」の創設に参加していた経験から生涯を理想的な社会造りに費やし、最後の締めとして、南米のパラグアイに理想郷造りを計画した。

 


 現在継続されている「新しき村」は埼玉県入間郡毛呂山町にあり、そこでは、農業を主とし、養鶏・稲作・畑作・椎茸・茶の栽培を村の生計の基礎にしていますが、パンの製造、陶芸の創作を仕事としている人もいます。

 

みな高品質のものを生産して市場へ出し、一般社会の人々にも喜んでもらうことを自分たちの喜びとしています。日本社会の高齢化にともない、この新しき村も高齢化していますが、老後の生活も保障されている村は、高齢者も若い人々とともに、健康で元気な毎日を生きています。しかし新しい若い力の参加で、新しき村の精神による理想的な社会が21世紀に実現していくことを心から願っています。

 

 新しき村は、全ての人が健康で長生きできる社会、全ての人が個性を発揮して天職を全うできる社会、全ての人が生きる喜びを感じ、趣味良き遊びを楽しむことができる社会(理想的社会の三要件)を目指したものである。 これは食うためにのみ働かざるを得なかった当時の農民や労働者を衣食住の心配から解放し、だれもが人間らしく生活できる理想的社会の実現を図るものであった。

 

 実篤がいう「人間らしい生活」とは、「衣食足りて礼節を知る」の教えのとおり衣食住をまず自分達の手で確保し、その後に、「自己を正しく生かすことにより他人を生かし、またお互いに助け合って自己を完成する」よう生きることであり、その根底をなすものは「人類愛」である。

 

 新しき村の村民(村内会員)達は、80年以上前に掲げた理想を頑なまでに今も追い続け、自己実現、理想の実現に励んでいる。

 

 「我々は死ぬのは嫌いであるが、奴隷のごとく生きるのを喜ばない。」と、主義思想、制度、人間関係、金銭、物等に縛られることを嫌い、全てから自由であることを求めてきた実篤はまた、新しき村についても「新しき村は協力の村であるが、同時に独立の村である。われらは他人に支配されることを嫌うものである。」と独自性を鮮明に述べている。

雑誌「新しき村」第54巻第10号(14.10.1)

武者小路実篤と新しき村 -その語りかけるもの- より

 

 

 

同時期における類似のユートピア建設


 武者小路実篤の「新しき村」と同じ時期(1930年頃)に、反骨の人と知られた作家の中里介山(なかざとかいざん)(1885-1944)が、ユートピア実現の試みとして、八王子市高尾に「隣人学園」を創設し、後に羽村に「西隣村塾」を創設しています。

 中里介山は、キリスト教から社会主義に進み、生涯を通じトルストイの影響を強く受けたといわれています。彼の教育思想は、彼が29年間に渡って新聞連載の小説として書き、世界一長い小説とされた「大菩薩峠」の後半の「椰子林共和国」に出てくるユートピア建設の内容に反映されていると見られています。


 しかし西隣村塾は、農耕と人間教育を結びつけた介山の理想郷づくりの実践であったが、塾生の不満から数ヶ月たらずで失敗に終わっています。不満の原因は介山が不在がちで、あまり指導に当たらないこと、百姓を任じていながら、みずからは鍬をにぎることが少ないことがあげられました。また、時期的要因として、農業を主体とする自給自足的な塾教育実践は、すでに時代は要求していなかったとも評価されています。


 小説の中では、伊吹山麓に建設された「伊吹王国」と、南洋の無人島に建設された「椰子林共和国」の二つが理想郷造りの試みとしてでてきます。

   また、一方ブラジルに集団移住を進めていた日本力行会(海外移住促進を主としたキリスト教系のNGO)の集団農場が1933年にサンパウロ州アリアンサに設立されおり、中心となったリーダーの弓場勇氏の名前がついて「弓場農場」として知られています。弓場農場もトルストイの影響を多分に受けており、「新しき村」との関係はありませんでしたが、両方とも非常に類似しています。

 

人間に生まれてよかったと思うような世界をつくろう 


 僕は人間の真価を生かしぬくのは之からの人間の協力にあると思う。金と武器の世の中では人間の価値は正しくは生き切れまいと思う。我等は武器と金の世の中は卒業したいと思う。他人を支配する力は愛と真理だと言ったら、今の人は笑うであろう。


 しかし人間はもうそろそろ自分の真価を生かすべきだと思う。人間は奴隷ではない。自分の真価を生かす事で、本当の人間が喜んで生きる事だ。自分を正しく生かし、人間同士の価値を高める事だ。生活を目的にせず、人間として立派に生きる事だ。勿論、真価を高める事が大事だ。健康に生きる事は元より大事な事だが、生活の為だけに働くのではなく、有意義に働く為に勉強すべきだ。もう人間は生活が目的ではなく、益々正しく生きる事が大事だ。

 食わねばならないのは事実だが、ただ生きればいいというのではつまらない。もっと自己を美しく生かす事が大事だ。僕は皆が人間らしく正しく生きることが大事だ。この事は皆でよく考え、皆、心嬉しく生きる事が大事だ。

 僕は皆が人間に生まれてよかったと思うような世界をつくるべきだと思う。

雑誌「新しき村」第54巻第11号(14.11.1)「新しき村五二年」武者小路実篤- より