ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

20. ノアの方舟 (ノアのはこぶね) ~破滅する日本を出て南米に築こうとした共同社会~ 

 

 1970年代に東京に大変な超能力とカリスマをもった女性が現れました。末広千幸は、人の病気を治す力を見せ、日本の政治経済状態についての予言をしてことごとく当て、そして社会問題についての鋭い分析から日本は破滅の危機にあることを公言しました。彼女は世界は今、あまりにも乱れた結果洪水によって神から滅ぼされてしまった「ノア」の時代と同じ最悪な状態になっているといい、その先端を行く日本は沈没する瀬戸際に迫っていると予言しました。マスコミにも好奇心をもって取り上げられたこともあり、多くの人間が彼女の講演会に集まりました。 
 そしてその破滅から助かるために神が用意した「新しいノアの方舟」に入る必要があることを説いたのです。その方舟は、日本から地球の裏側にある「パラグアイ」という国だというのでした。そして彼女の元に集まった純粋な人間たちのパラグアイへの移住が始まりました。

 彼女の運動は、世界の行く末に不安を感じていた多くの人達の心を捉え、世界の状態や、日本社会の危険な状態と人間個人の使命について目覚めさせた影響の大きなものでした。この運動にはサラリーマンから事業家、学者まで多彩な人間が、自分の家や会社を処分して、全てのお金を彼女に差し出して参加しました。そしてパラグアイの農場で自給自足の新しいコミュニティー建設造りに入ったのでした。

 ”イパカライファームは、90町歩の土地面積で建物は本部と呼ばれる平屋建、本部から左側に30メートルの位置に平屋建の女子寮、その女子寮の前はサッカーが出来る程の芝生の広場があり、女子寮と向き合う形でカマボコ兵舎のような独身男子寮があった。この男子寮は元、馬小屋だったらしく屋根はトタン板だった。お風呂は、本部と女子寮の中間にあり五右衛門風呂で薪でたくようになっていた。そのおふろの隣に井戸がありそれにかぶさるように鉄塔で5、6メートルの高さに設置された風車が回っていた。
その井戸の前に直径10メートル程の貯水プールを作っていた。 そのプールは1.3メートル程の高さに土盛をしてその上に1メートル程度の高さで周りは波型アルミ板で囲んだものだった。その貯水プールから五右衛門風呂に水を供給するようになっていた。 薪拾いはお年寄りや女性、子供たちの役目だった。ファームの東側にある約3町歩のユーカリ林の枯木を集めるのだった。
 ファームに来た人口は延べ60人程度になるが、私たち家族が到着した時は既に先発隊の中から10数人が見切りをつけて無念の帰国をしていた。その日本に引き上げた人たちの何人かが主宰者のS女史を詐欺呼ばわりして訴えマスコミを賑わせたのだった。  従って、私たち家族が着いた時は上は74歳の後藤の爺ちゃんから、2歳の乳飲み子まで入れて総勢38人。男性18人(内、子供3人)、女性20人(内、子供2人)。  この内、家族が9家族、独身青年7人、独身女性が7人だった。そしてパラグアイ人の牧童チトと女中のネッカさんだった。

 ファームの南半分約50町歩が牧場としてわれわれ居住区とバラ線の木柵で仕切られそこに数十頭の牛を飼育していた。居住区を含む国際道路に面した北側の40町歩の内、30町歩を大豆畑としてトラクターで耕作準備をしていた。
 ファームは自給自足を原則としていたから野菜等も植えていた。本部の南、裏側に工員が着るようなヨレヨレのつなぎの服が制服でもある74歳の頑固な後藤の爺ちゃん専用の畑があった。 その畑では爺ちゃんが喜々として馬糞、牛糞、鶏糞をたっぷり肥料にして育てた見事なキュウリやナス、ピーマン、ネギ、オクラ等々が次々と収穫されていた。 共同作業用の畑は国際道路からのユーカリ並木の進入路東側の1町歩程度を畑として野菜を植えていた。食事は本部で全員で一緒に食べた。 食事当番は女性たちが交替で行っていた。ただ、この食事がくせ者で主宰者S女史の哲学か、それとも予算がなくてか知らないが、玄米と畑で収穫したキャベツやナス等野菜料理主体だったのには参った。 時には女中のネッカさんが大ナベに無造作に骨付き肉やじゃがいもをほうり込んでシチューを作ることもあった。 しかし、始めてどでかい骨付き肉をゴトゴト煮ているのをみた時は「ウェーッ」と辟易して食欲も減退したものだった。もっとも今では、丸まると太った牛を見ると「うまそうだな」と思う程に食癖は変わってきたのだが。
 実際、いろいろな人達が集まってきていた。最高齢者の後藤の爺ちゃんは何でも東北出身で東京に出稼ぎに来ていて主宰者のS女史に共鳴してS女史の主人の家があるカリフオルニア・フレズノの農園で先発隊と一緒にトレーニングを受けてそのままパラグアイに来た野菜作りの名人だった。
 洋裁専門家、看護婦長さん、陶芸と習字の先生、デザイナー、NHKのオーディオ技術部長だった人、工学博士号を持ち大臣表彰を受けたエリート、一部上場企業の課長、早稲田、慶応ボーイ等々多士済々の人材がよくぞ集まったものだ。 日本でどっしり根を張っていたこれだけの人達をスコップでエイッ!とばかりすくい取ってパラグアイに植え替えようとした怪女S女史とは一体何者なのか?”

(日系ジャーナル連載 「あなたの目覚めの場荒野 パラグアイ…その3」11/30/Thu より )


 しかし、この運動は失敗し、結果的には、ロッキード事件田中角栄元首相逮捕の記事と並んで「パラグアイを舞台に詐欺事件」という派手な見出しの記事がのるスキャンダルに終わりました。この農場が閉鎖された後で作者は縁あってここの人達と知り合いになり新しい仕事を手伝ったり、友好関係を結んでいます。この運動の被害者となった人達は、彼女のもっていた当初の本心や動機は純粋で正しいものだったのが、マスコミに騒がれて有名になり、お金が入ってくるにしたがって、人間が変わってしまったと見ていますが、人はお金や名声に弱く、そしてそれらのために人間が変わってしまうことはよく見られるケースです。所詮人間は、良くも悪くも変わることができる可能性をもっている存在なのでしょう。