ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

37. 「海市」-もうひとつのユートピア 人情報社会化のユートピア都市の実験モデル

 1997年4月19日より7月13日までの約3ヶ月間、東京、西新宿のNTTインターコミュニケーション・センター(ICC)の オープニング記念展として、「海市」-もうひとつのユートピア、(The Mirage City - Another Utopia)と題した展覧会が催されました。主催はICCで、磯崎新が展覧会全体の企画をうけもちました。

この展示/イヴェントは、情報社会化してゆく21世紀にむかって、ひとつのユートピア都市を構想し、具体化するための実験モデルとして組みたてられました。それは、近代社会を支えた唯一の普遍性、単線的な進歩、および垂直の序列性の原理に対する根本的な疑問に発しています。変換の手がかりは、各種のinter-(間、相、交)です。すなわち


inter-activity (相互操作性)
inter-communality(間共同体性)
inter-textuality(間テクスト性
inter-subjectivity(間主体性)
inter-communicativity(交互通信性)

 さしあたり、マカオ沖の南支那海上に構想されている「海市」を舞台にし、その上に、4つの異なったモデルの上演(パフォーマンス)を行いました。

 これは完成作品の展示ではなく、何かが制作されていくプロセスをそのまま公開し、かつ多様なネットワークを介して、相互に他者でしかない不特定の人々が参加するワークショップです。こんな手段を採用するのは、いっさいの決定性が不可能になったと考えられている今日。inter- の概念と手法を介して、マスタープランを持たない都市のプランが構想可能であることを示す意図を持っているためです。30年前に死んだ近代のユートピアに替わる、もうひとつのユートピアが会場内に蜃気楼(海市)のように浮かび上がるでしょう。 


海市計画/経緯

 中国珠海市街地の南、横琴島は現在大規模開発が進行中で、金融センター、政府系業務施設,住宅などが計画されています。2010年の完成予定,計画人口65万人をうたっています。この横琴島南岸の開発に関するコンサルテーションが、当初中国側からもたらされた依頼内容でした。
 これに対し磯崎新は、横琴島南の遠浅の海に人工島を作り、ここに文化・学術、業務・会議、居住・逗留の諸施設を計画することを提案しました。また、このプロジェクトが単なる開発事業の計画立案にとどまらず、現在という時点で想定しうる<ユートピア>についての研究の性格を併せ持つようにすることを考えました。


 プロジェクトのうちプラクティカルな側面のスタディーは早稲田大学理工学研究センターでの委託研究として行われ、1995年6月に磯崎新早稲田大学理工学総合研究センターによる報告書「珠海/海市計画」が作成されました。現在インベスターによる建設投資の参加を待つ状態にあります。 他方、プロジェクトのコンセプチュアルな側面は1996年9月オープンの「ヴェネツィア建築ビエンナーレ」に向けて磯崎新アトリエでディベロップされ、展示パネルおよび木製模型が制作、出展されました。

 計画地は珠海市街地の南側、約20kmに位置し、現在大規模開発が進行中の横琴島(9,000ha,計画人口65万人,2010年完成予定)の沖合い約1,5kmに位置する、面積約400haの人工島です。横琴島では金融センターや政府系業務施設、文化娯楽施設、住宅等が計画されています。計画地に面した地域は、リゾート施設が計画されています。 周辺では,広州と当該地域を結ぶ幹線道路や幹線鉄道の計画が進行中であり、将来はアクセスが至便となります。また,広域からのアクセスについては、計画地西側約15kmに珠海空港が完成し、本年6月に供用かいしとなったほか、北東側約10kmに新しくマカオ国際空港が建設中(1996年供用開始予定)であり、開港後は国外からのアクセスがさらに向上すると期待されます。 ルーハン島の黒沙湾に面した地域はリゾート地になっており、ウェスティンホテルをはじめ、ゴルフコースやホンコン、台湾人向けの高級コンドミニアム郡が立ち並びます。 




「海市=ミラージュ・シティ」は中国のマカオ沖、南シナ海上の人工島の計画です。珠海市当局からの依頼ではじまりましたが、ここに自由な提案を加えようとしています。「海市」には2重の含意があります。ひとつは文字通りの海上の都市。もうひとつは、蜃気楼です。目下、この計画は市当局は真剣に受けとめ、検討中であり、提案者側も投資的、技術的な研究をすすめているので、この2重の意味のいずれの結果がうまれるか、予測できません。海上に都市を計画するとは、現行の政治的、社会通念的な諸制度と断絶した別種の世界を組みたてることも想像的には可能なので、これをユートピアと呼ぶこともできるかも知れません。

 私たちは4半世紀も前に、あらゆる種類のユートピアの死を目の当たりにしました。その記憶の去らぬときに、あらためてユートピアを計画するとはいかなることか?むしろ今日の問題はそれを再生の儀式とみるか、反復する茶番劇とみるか、あるいは新しい救済の企画とみるかによって大きく違ってきます。おそらく具体的にこの計画を推進すれば、これらのすべてを取りこんだものとして作動するでしょう。計画するという概念が、一本筋のもので、線的に展開することはもはやなくなったことを知ったうえで、すべての計画はうごきはじめているのですから。 

 奇妙なことに、ユートピアを最初に物語ったトーマス・モアは、この存在しない場所を、大航海のあげくに発見された《島》に設定しています。南支那海上の人工島は、同じように海のうえに出現します。前者がフロンティアが信じられ、発見が可能性として残されていた時代に想像されたものとするならば、私たちの《島》は、もはや発見の可能性のなくなった洋上にひとつの虚構として捏造されるものです。ついでながら,トーマス・モアは1516年の初版本にこの島の想像図を挿入しています。ところが1518年に再版するにあたって、この島に対岸から2本の橋を架けた図に変更しています。その理由はつまびらかではありませんが、地勢学的な条件が私たちの《島》そっくりになっています。そこで《海市》は今日のベネチアが一本の長い橋で本土と結ばれているように、中国本土と二本の橋で結ばれることになりました。


 さしあたり、人工島の予定されている位置は、珠海/マカオ両市の南端にある横琴島の沖2マイルの海域で、ここの水深は5メートル以内で、埋立てが容易にできます。ここは南側は、南支那海の大洋に面しているので、防波堤で囲われますが、本土との間の内海は、小船が運航できます。ここは《島》であるからには、外界との交通が予定されていなければなりません。《島》はその呼び名からして閉鎖系であり得ますが、それはあくまで、外界があっての故です。トーマス・モアユートピアも、陶淵明による桃源郷も、発見されたものです。勿論それは存在し得ないものを、外界にいるものが想像力をもってその内側に構築したものをさらに反転させたものではありますが、大航海の果て、源流へむかって遡上することによってみいだされた桃林の奥、という具合に此の世界とは距離が置かれています。その距離を渡すための交通が必要です。具体的な計画にあたっては、交通は3つの位相に分類されます。 

1.人、物の移動、運搬 : 自動車、船、自動車等の経路、エネルギー供給、廃棄物処理 

2.情報の流れ : 通信回線 

3.“気”の流れ : 不可視の循環回路 

 人、物、情報については、今回の都市活動を支える基本的な手段です。さし当たり徹底してオルタナティヴ・テクノロジーの利用が検討されています。最少限度のエネルギーの供給でサステインしうる手段を技術的に開発することを目標にしています。むしろ、この計画の形態的な特徴は、不可視の“気”の流れに対応した装置を配置することによって、都市を構築する手がかりを得ようとするところにあります。それは、この地域の人々が信じてもいる土地占いの方式である風水説を再解釈して計画の骨組みをつくることです。


 この「海市」を予定している横琴島南湾は南にひらいて西・北・東にひくい山脈が巡っています。平地をこのように北から抱く地形が、古来、風水説によって都市・住居の適地とされています。海市は丁度そのような位置におかれます。竜脈の“気”は横琴島で最高の峰である脳背山に到達し、地中にもぐって、竜穴から溢れでます。本土から通じる橋は、この地中の“気”の流れに平行しています。海市の中央の軸上にもうけられる淡水池がこれに相当します。東北から南西にかけて蛇行する運河は“気”のミクロの循環を促進します。同時に中央の軸にむかって、南方から流れこむ“気”は対称的に置かれた塔がつくる門によって制御されます。 


 土地占い(geomancy) は経験がとらえた法則です。人体の内部を流れる“気”を経絡として察知する東洋医学と同根です。環境とそのなかに置かれた生命との関係を経験的にパターン化させたもので近代の科学的手段を用いて証明する手がかりはありませんが、それは効果的であり、何よりも、この地域の人々はこれを信じています。まったく手がかりのない白紙のうえで描きだづ計画において、風水説はひとつのテンタティヴな仮説として採用可能と考えます。コンピューターが生成する形態もそれが計画に導入される際には、何かの判断の基準が必要となります。今日の計画において、とくに海市のような歴史さえいっさいもたない捏造される人工の《島》の計画においては、その判断の根拠として共有可能な要因はみあたりません。常に虚構として仮定されるだけですから風水説という経験則は、むしろ有効ともいえます。 


 「海市計画」は近代を支えてきた3つの基本概念、フロンティア、バウンダリー、バニシングポイントのいずれもが消失したあげくに、到来する世界のために構築されます。フロンティアはみずからが占有する世界が、まだ拡張可能と信じられていたときに有効でした。ユートピアでさえ「発見」されるものでした。バウンダリーは、複数の占有者が共存するために、人工的につくられます。代議制に基づく民族国家の群が限られた領域に割拠するとき、最初に可視化されるのが「国境」線です。バニシング・ポイント(消失点)は「透視」図法として、近代的な主体の視線を安定させるために導入された象徴形式です。この3つの条件が消失したことを「世界の終わりがみえた」「国境線が消滅した」「近代的主体が解体した」などと語られてもいますが、これは20世紀の末にいたって、既に共通認識になっているといっていい、これらの廃墟の跡に構築されるもの、それが「海市計画」の意図ですが、具体的にその活動の有様を次のように設定し、これをプログラムに組もうとしています。 

1.アジアの政治的共同体の中心機関: 

 1999年にマカオが中国が中国本土に返還されたとき、珠海市は、それを横琴島と合併して、あらたな政治・経済特別区をつくる構想をもっています。「海市」は更にその沖の洋上にあるので、これを自立させて、たとえばアジア共同体が共有するテリトリーとする。少なくとも今後もしばらくは存続しているアジアの民族国家がヨーロッパ・ユニオンのようなあたらしい相互の関係を組みたてねばならない時期は早晩おとずれます。そのときアジア文化圏の全部を丁度3000KM圏におさめるこの「海市」の位置は、洋上であることも含めて、適切です。同時に、地表面をもっぱら統治領域としてきた近代にたいして、中世以前の海域を単位にした文化圏があらためて再考されることになるでしょう。ここにアジア各国は代議制を介して、代表を送る。その合議のための諸施設をここに建設するものです。 

2.新しい情報メディア網を介してのビジネス活動施設:

 情報ハイウエイ、人工衛星を介しての全世界との即時交信が可能になり、それが貨幣、金融、通信、放送、遊戯、教育のあらゆる領域を制度的に変貌させようとしています。世界の構成単位をビット化して、それをデジタルに編成しなおすテクノロジーがこれから浸透していくなかで、諸制度の変貌は必至ですが、その障害となるのは、すべての民族国家がそれぞれ組みたててきた慣習と制度です。そのような現行のしがらみから全面的に逃れうるには、むしろまったく白紙状態から組みたて直された新しい場がまず必要とされます。「海市」に求められるのはビット化社会のこのような活動モデルです。当然ながら、いわゆるセントラル・ビジネス・ディストリクトはありません。住居の単位も、その日常的な行動が、職場/住宅の分離ではなく、その混用となるために、従来型の住居も再検討されざるをえません。 

3.文化活動諸機関の交流拠点: 

情報や文化の活動形態は、既にバウンダリーが消えています。共同研究や会議やコンベンションが常時行われるのは常識です。「海市」に求められる文化活動は単に交換や展示という枠にとどまりません。多領域での創造です。そこにも新しい施設プログラムが組みたてられるでしょう。大学、美術館、会議場といった従来のものとは異なるビルディング・タイプが構想されねばなりません。  このようにして私たちは「渦巻き」を、しかも常時生成され変貌している状態を、シミュレーションしているのですが、それでもイメージとして固定すると意図に反してしまいます。常に仮定されたものであり、決定さえあり得ず、いかなる従来の形態も信じられていないとするならば、どのような表現方法があるのか。もうひとつの課題は、にも拘らず、市当局やメディアを介して、関係機関を説得するために、図示されねばならない。その意図と方法の乖離を超えるやりかたはみつかっていません。ただありうるのは、プロジェクトの過程で交信する相手に、常に容易に理解してもらえる手段を機会に応じて変えて用いることでしょう。そこで、この会議への報告では、コンセプトとわずかに輪郭だけのみえる図面にとどめます。この次これの計画をもしみられたら、まったく異なったイメージとなっているかも知れません。だが、本来計画とはそういうものです。それ故に「海市」=蜃気楼というメタフォアも充分に生かされるというわけです。