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ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

46. 一燈園 (財団法人 懺悔奉仕 光泉林) ~無所有奉仕共同生活による世界の真の平和への祈り~

 一燈園は、明治37年西田天香さんによって創始されたもので、自然にかなった生活をすれば、人は何物をも所有しないでも、また働きを金に換えないでも、許されて生かされるという信条のもとに、つねに懺悔の心を持って、無所有奉仕の生活を行っているところです。

 一燈園では、おひかり=(光=(神・仏・大自然)から預かった財物を、世の争いの種にならぬよう運用経営する機能を「宣光社」と呼んでいます。光泉林は昭和四年現在地に開設され、財団法人として認可されました。約十万坪(33ヘクタール)の土地に、数十棟の建物があり、二百数十人の者(同人と云う)が生活を共ににし、懺悔報恩の心を持って捧げた働きをすることを念頭しています。






 

 一燈園(光泉林)の生活


   光泉林では、それぞれの家族を持ちながら、一体となって共同生活を営んでいる人々を「同人」と呼んでいます。同人達は様々な部門に分かれ、老若男女すべての者がそれぞれの分に応じて働いています。そしてその働き(托鉢)の報酬はすべて「おひかり」に捧げられ、個人や家庭の財産にはなりません。すべてが預かり物であり、私というものはなく、必要な物は必要に応じて「おひかり」から与えられるのです。
一燈園生活を実践するこの「光泉林」村では、「光明祈願」(上記)を根本規範とし、ほかには何の規則もありません。 
また、同人の他に「光友」の立場でもある事業部の職員や塾生など、多くの人々が共に働いています。 

【朝課・晩課(おつとめ)】 
 一燈園は宗教(特定団体、宗教法人)ではありません。そのため特定の本尊はなく、諸宗の真髄を拝むため、本堂としての「礼堂」にも、正面祭壇の中央には円窓があるのみで、その円窓を通して大自然を拝するようになっています。
"朝課"は礼拝と「維摩経偈」「一事実」など、"晩課"は「般若心経」と「維摩経偈」などの誦経が中心です。
維摩経」は一燈園の先達とも言える存俗の覚者、維摩居士のお経。「般若心経」は佛教の真髄を要約した短いお経です。「一事実」は天香の新生涯における自内証の記録「天華香洞録」の一節で、これは端的に一燈園生活を表しています。

【仕 事(托鉢・作務)】  
 一燈園で生活している者はすべて、農場、教育機関、各事業部門(建築、出版、印刷、劇団、農事研究所その他)で働いています。学生は勉学が托鉢です。一燈園では生活のすべてが奉仕としての「托鉢」ですが、仕事(労働)を特に「作務さむ」と呼んでいます。外部からの依頼でお仕事を頂く場合もありますが、結果としての報酬はすべてお光(ひかり)に捧げられます。

【食 事】 
 食事は生活と修道の基本と考えています。板の間の食堂(じきどう)で、机に向かい合う形で正坐し、合掌して「般若心経」と「感謝のことば」を唱え、食事を静かにいただきます。また、食後には「己が身はかえりみずして人のためつくすぞ人のつとめなりける」(明治天皇御歌)を唱和します。 

【教 育】 
 一燈園に住む子弟は3歳になると、地域の子どもたちと一緒に"いずみ幼稚園"に入園し、学令に達すると、"一燈園小学校(昭和8年開設認可)"から、"一燈園中・高等学校"へと進学し勉強します。小、中学校は一般の学校と同様ですが高等学校、大学林では、働く事を学びつつ勉学する体制をとっており、高校は午前中、大学は昼間に光泉林の各事業部で托鉢(仕事)を行い、それ以外の時間、夜間まで勉学に精励します。孔子の言葉「行余学文」を校是とし、「行じて余暇あれば文を学ぶ」という考えの下に勉学と実践の両道を重んじ、日常生活の中に「祈り」と「汗」と「学習」の時間をカリキュラムとしてとりいれています。
『学校法人燈影学園』=幼稚園、小、中、高等学校のそれぞれに案内書を御用意しております。


 

 

 


 一燈園生活の願い― 皆倶成就大円覚 将来世界真平和


   一燈園生活の窮極の目標は、戦争がないということでなく、あらゆる対立、憎悪、怨恨、争いを生み出すものを根切れさせ、種をつくり出さない、本当の心の平和ということにあります。そうして、家がととのい、国が治まり、世界に真の平和が実現することを祈っていくことにあります。

 この世に生まれ出た時のように、自分の物はなにもないという路頭の心に立てば、この世のあらゆるものは仮に預かったものにすぎません。財物も、地位、衣食住、知識や身体さえも、どう預かり、それを全体のためにどう使わせてもらったらよいか厳しく問いかけて扱っていくことを、「宣光社」といっています。つまりこれは現実に生きていく人間の生活そのもののことなのです。

 一燈園生活には、捨てていく無の立場「一燈園」と、預かる有の立場「宣光社」の二つが、車の車輪のように一体となってあるのです。

 皆倶成就大円覚―地球上の人間がすべて本当に自覚した人間になることは、無限のかなたにある道標かも知れませんが、しかしそれを永遠に祈り続けていくことが私達の道なのです。

 将来世界真平和―世界の真の平和も、永遠に達成することのない願望なのかも知れません。しかもなお私達はそれを信じ、悲観もせず、楽観もせず、永遠に祈り続けていくことの中に、人間の尊厳と栄光があり、未来があるのだと思います。