5. ユートピアの生みの親 ”トーマス・モア”
今日は、ユートピアの生みの親である、「トマス・モア」について研究していきたいとおもいます。
トマス・モアは、1478年2月7日ロンドンで生まれました。祖父・父ともに法律家で、彼もオクスフォード大学に学んだあと法律の学校に進み、1504年議会で庶民院議員となり政界入りします。
1515年に国王ヘンリー8世の外交使節団のメンバーになり、その後1517年から国王の要請により宮廷に仕えることとなります。1523年に庶民院議長となりました。1529年には大法官に任じられます。
一方彼は少年時代にカンタベリ大司教の書生をしていたこともあり、敬虔なキリスト教徒でした。
彼は聖書をよく研究しており、当時の腐敗したカトリックのあり方には疑問を持っていたようで、むしろプロテスタント的な思想の持ち主であったようです。彼は1505年27歳の時に結婚していますが、その時も神の道に生きるのなら結婚はすべきではないのではないかと悩んでいる ようです。
そんな彼の心を大きく揺るがす大事件が起きました。
ヘンリー8世の離婚問題です。ヘンリー8世はイスパニア王女カザリンと1509年に結婚していましたが彼女の侍女であったアン・ブーリンと恋に落ち、彼女と結婚するためにカザリンを離別しました。しかしこの離婚をローマ法王クレメンス7世は許可せずここにヘンリー8世は英国国教会を設立してイギリスの教会のカトリックからの分離を断行します。
このヘンリー8世の行為はモアにとっては許し難いものでした。
彼は大法官の地位を辞任。ヘンリー8世とアン・ブーリンとの結婚式にも出席しませんでした。更にヘンリー8世を英国国教会の長とする「首長令」にも異議を唱えます。彼は反逆者として査問委員会に呼び出されます。
査問委員会に場でも彼は自分の信念を決して曲げようとはしませんでした。
彼は1534年ロンドン塔に幽閉され、翌年7月6日、処刑されます。
自分の信じる神の道に捧げた人生でした。