6. 政治家トマス・モアの描くユートピア
モアの本の中では、ある旅人が、理想郷と思える国をモア達の前で開陳するという構成でかかれています。
このユートピアは原始共産主義の思想が反映されているのですが、モア達の時代は、絶対主義の時代に入りかかった頃なので問題になることを避け、それを伝聞という形でごまかしています。
人間の性善説に依り掛かっていることが、見て取れるし、作中のモアの言葉にしても肯定的ではありません。
モアが描くユートピアという国は、回りは暗礁に囲まれた三日月型の島で、この国には54の都市があり、各都市は1日で行き着ける距離に建設されています。都市には6千戸が所属し、計画的に町と田舎の住民の入れ替えがおこなわれます。首都の名前はアーモロート。
各都市には家を単位とした管理体制があります。30戸から族長が選ばれ(各都市に2000人)そして10人の族長から主族長が選ばれます(各都市に200人)。そして主族長から市長が選ばれるのですが、市長は基本的に終身制となっている一方、交代もありえます。
ユートピアでの生活は集団生活で、ラッパの合図で一斉に食堂で食事をします。その後、音楽や訓話を聞いたりして、6時間程度の労働があります。労働は主として農作業で、自給自足の生活です。
その他、自給生活の補助として手工業などもありますが、全ての住民は労働に従事しなければなりません。社会になじめない者は奴隷とされます。私有財産、貨幣、国内交易は存在せず、必要なモノは共同の貯蔵庫から調達します。
労働に従事しない日は芸術、科学、音楽などを研究します。住民は質素、快適、安穏な生活を営んでいます。
全ての国民が労働に従事し、搾取層は存在しないため、労働は1日6時間で充分とされています。
朝号令とともに一斉に仕事をはじめ、お昼休みをはさんで、午後には一日の仕事が終了します。食事は食堂で提供されるので女性が食事作りに煩わされることはありません。残った時間は家庭で家族そろって団らんの時間となります。
信仰の自由は保障され、各自が自分の信じる神に祈れるように、教会にはいっさいの偶像・宗教画の類はありません。安息日には人々は芸術や音楽にいそしみます。職業軍人はなく、侵略のための戦争は禁止されていますが、国土防衛のために国民全員が男女の区別なく民兵として訓練を受けています。
モアはこの社会は理想的であるため住民は何の苦悩も持っていないと書いていますが、生活スタイルの多様化とそれに伴う価値観の変化によって現在こういう社会環境に全部の人間が満足できるとは思われません。
統一された環境や、生活スタイルでは実際には全ての人間に当てはまるユートピアとは無理なのかもしれません。様々なことなった考え方をもった人間や違った習慣、生活スタイルなどを受け入れ平和に共存できる社会こそが本当のユートピアなのではないのでしょうか。
都市型社会到来予見としての『ユートピア』
モアの『ユートピア』以降、描かれたユートピア像との共通点が、彼らの描く理想郷はいずれも都市的であり、完全な農村ではないという点である。翻って、中国での理想郷はほとんど山村や田園に設定されているし、西洋でもパラダイスと言えば「エデンの園」の「地上の楽園」も田園である。
ヨーロッパ理想主義の一形態であるユートピアには、西洋文化が多かれ少なかれそうであるように、ヘレニズムとヘブライズムの二潮流が合流しており、前者は地上の理想的都市国家についてのヘレニズム的神話であり、後者は楽園や天国についてのユダヤ・キリスト教的信仰である。
十六世紀のユートピアはこの点で、ヘレニズムの影響がヘブライズムのそれを上回っているように見受けられる。
更に、ヨーロッパではすでに十二世紀から都市は広範に出現し始めるが、十五世紀までヨーロッパは圧倒的に農村社会であって、都市社会に転化し始めるのは早くてルネッサンス以降である。
都市の発展の早かったイタリアでは十五世紀の中頃から建築家たちが未来の理想的都市を構想し始める。つまり、未来は農村社会ではなく都市社会にあるという予感は、当時の建築家と思想家の共通認識であり、拠ってユートピアを田園としてではなく都市として描かせた理由のひとつであると思われる。
モアのユートピアは行動や人物・性格が中心ではなく、場所、しかも秩序としてのトポスが中心とされ、理想的社会状態の具現化にある修辞的、文学的創作物であるが故に、その定義付けは時代の潮流と共に流動的にならざるおえない。
国家や社会計画案というものが内包している論理は自ずと「管理的」になるということも考え合わさねばならないし、故に、真のユートピア意識は「国家」の脱構築についての夢想になる。
こうした流れの中に、ジョージ・オーウェルの『1984年』やアルダウス・ハクスリの『すばらしい新世界』などの作品が描く、全体主義的管理社会へのアンチテーゼとして逆ユートピア思想もまた産出され得るのである。
ここで、モアの『ユートピア』のコンテクストに向ける眼差しを再考すれば、ヨーロッパ中世における千年王国を希求する運動、自律的な市民という共同体における平等を求める運動もまた、アナーキズム的でディストピア的であると同時にユートピア的であるという両価性を内包する。
つまり、ユートピアということばが日常言語として語られるコンテクストには、「今」という現実が不幸であり、世の中に悪が蔓延しているという前提条件の上に、その諸悪やそのもたらす不幸がなければ、この世はどのようになるだろうかと人間は想像し、更に一歩進んで理想の社会とはいかなる様態なのかという、まさに「ここではない場所」への夢想の彼方に、ユートピアという語彙が存在するからである。
その不幸な「今」という現実は常に変化し、そして、ユートピアという語彙の持つ理想の社会、悪を排除した完全な社会の希求は人類の永劫の夢想に他ならないからである。