8. 経済学者たちのユートピア
16世紀は、プロテスタントとカトリックなどによる宗教対立争いの一部としてのユートピア的社会造りがみられました。
その後、それが社会問題や経済格差問題が要因として平等や自由、人権などが観点となったユートピア社会への憧れが深まりました。
これが19世紀に入り、マルクス主義の発達と平行してユートピア社会主義というものが論じられるようになりました。
特に19世紀前半の産業革命後のイギリスはあまりにも悲惨な社会環境にあり、社会的な不安が充満していたため、
- ロバート・オーエン
- サン・シモン
- フーリエ
といった、3人の経済学者が当時に見られる初期の資本主義に対する反動として、「共同体的」なもの作ろうと考えました。
労働者の生活状態を改善するために、紡績工場を設立したり、「共同村」を建設したりした活動は、労働組合や協同組合の発展に大きく貢献することになり、彼らの影響から福祉国家というコンセプトも生まれました。
ロシアでは、共産主義社会の実現ために計画された「コルホーズ」と呼ばれる「共同農場」が存在しました。
これは、ソヴェトロシアの国家農業機関に積極的に参画し,ロシア農村の「協同組合的集団化」の構想を提起した農学者、アレクサンドリア・チャヤーノフの思想が土台となっているものです。