ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

11. 建築家たちによるユートピア都市の設計

 政治家モアが描いた「ユートピア」は、都市型理想社会といわれるもので、そこでは都市機能の利便性が問われる部分が大きく、これは都市設計を専門とする建築家たちにも大きな課題を投げかけてきました。

 

 この中で、建築家の中にも人類の未来を考え、地球の環境的継続や人間と自然との共生を考えたユートピア的都市造りを試みるものがいつもいました。

・1956年にブラジルの奥地のなにもなかった荒野にいきなり近代都市が建設されました。

これはブラジルの首都としてブラジルの天才建築家たちによって計画されたユートピア都市なのです。<理想的未来都市ブラジリア>

 


・1972年には、日本の首都をもっと安全で環境のよいところへ移す案が議論され、移転先選定及び都市計画設計を含めた遷都計画のコンペが行われました。
 これには、多くの大学の都市工学研究グループが参加しましたが、このコンペで選ばれたのは早稲田大学グループの「北上京案」で、岩手の北上山系の山の中に首都を置くという大胆意外な発想でした。<ユートピアに首都を移す計画> 

・1997年に新宿でNTTがインターコミュニケーション・センター(ICC)の オープニング記念展として、情報社会化のユートピア都市の実験モデルを展示しました。
この展示は、情報社会化してゆく21世紀にむかって、ひとつのユートピア都市を構想し、具体化するための実験モデルとした「海市=ミラージュ・シティ」で、中国のマカオ沖、南シナ海上の人工島の計画です。

 目下、この計画は市当局は真剣に受けとめ、検討中であり、提案者側も投資的、技術的な研究をすすめています。


 海上に都市を計画するとは、トマス・モアのユートピアと同じシナリオを近代技術のすべてを盛り込んで再表現したもので、これこそが現在版ユートピアと呼べるものでしょう。
<「海市」-もうひとつのユートピア>