16. ピューリタンの理想社会の実現 ~アメリカ民主主義の発祥~
アメリカとは何か、と言うことを考える場合、一つ、頭の隅にでも入れておくべき基本的なことがあります。
それは、アメリカは移民の国であり、ヨーロッパからアメリカへの初期の移民は宗教難民だったということでしょう。
その中でヨーロッパからアメリカへの移住の先頭をきったのが、ピューリタン(清教徒)だったのです。
そしてそれに続いたバプチスト、クェイカー、アーミッシュなど、その他のローマカトリックや国教的プロテスタントと対立したキリスト教少数グループが、自分たちの信仰にそった生き方ができる地を求めて、続々とアメリカへ渡ってきて、そして自分たちの理想郷造りに汗と血を注ぎ込んだのです。
通常「清教徒」と訳される「ピューリタン」という名称は、最初イングランドの女王エリザベス1世のアングリカニズム(英国国教会中心主義)による宗教政策を不徹底な宗教改革とみなし、国教会をジュネーブの宗教改革者カルバンの教会改革のモデルに従って徹底的に改革しようとしたプロテスタントにつけられたあだ名でした。
ピューリタンの思想は、広くはカルビニズムの流れに属しますが、「契約神学」と呼ばれる独自なもので、神人関係も社会関係(家庭や国家)も契約で考え、聖書にのっとって地上に理想社会 (神の国) を実現し、神に対し責任をもつ生活をすることを目標としました。
ピューリタンは"ピュア"という言葉に起源があり、ピューリタンの信仰とは、質素な生活を送り聖書を読めば、純粋になれて、その人自身が神に近付くことが出来ると信じられていました。
ピューリタンは灰色と黒と白い服装だったので一目で見分けられました。
1620年、英国国教会がカトリックから完全に離脱できないことに反発した“清教徒”(ピューリタン)は、新天地を求めて母国イングランドのプリマス港をメイフラワー号で出港し、アメリカ合衆国の北東部にあるマサチユセッツの港に到着しました。
彼らが開拓したこの地域はその後ニュー・イングランドと名づけられ、合衆国の中で最も早く開かれた学術文化の中心地となっています。
到着してからの数カ月は移住者にとって困難だらけでした。
102人中の半分が死に、生き残るために懸命な毎日でした。しかしながら、アメリカ原住民の助けと指導により、やっと穀物を育て、大収穫をもたらすまでになりました。移住民たちはこのような苦しい体験は神によるもので信仰の試験だと信じていました。