17. ピューリタン革命に影響した「千年王国論」
最近の研究では、この清教徒たちの「大移住」には、「千年王国論」が大きく影響していると見られています。
千年王国論とは、キリスト教の宗教的解釈の一説で、『聖書』の「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」をもとに、将来キリストが再臨し、地上でキリストの王国が実現されると考える教義です。
この教義はしかし、アウグスティヌスが『神の国』において非難して以降、カトリック教会の支配的教義からは、「迷信」として排斥され、中世においては民衆や異端的な預言者に受容され、近代において登場しても、前近代的な「狂信派」の思想として捉えられがちでした。
しかし、これが近代イギリスの扉を開いた革命に大きな影響を与えていたからには、千年王国論は単に前近代、狂信的という言葉では片付けられない歴史的役割を担っていたことになります。
なぜなら、革命以前、多くのピューリタンが迫害から逃れてアメリカ大陸のニューイングランドへと渡り、本国から遠く離れたこの地で、祖国の腐敗を嘆き、新しい地における理想の国の実現を目指す千年王国論が確立されていきました。
ニューイングランドは決して本国と隔絶されておらず、むしろ相互の交流は活発で、特に革命勃発後はピューリタンの帰国者が相次ぎ、ニューイングランドの千年王国論が逆輸入されました。
しかしピューリタン革命の挫折とともに千年王国論を奉じる人々はアメリカ大陸へと帰っていきましたが、千年王国論はピューリタン革命から110年後のアメリカ独立において再度姿を現し、アメリカにおいて、モルモン教や、エホバの証人などのプロテスタント教会に強い影響を及ぼし、彼らを理想郷造りに駆り立てました。
中世よりさらに時代を下ると「千年王国論」の意味は拡大し、地上に理想境を求めるという意味で、ユートピア思想へと拡大、あるいは、互いの境界線が曖昧になっていくようになりました。
この辺りを追求して行くと宗教運動の枠を越え、民衆の社会的な反抗形態の一つの雛形となり、マルクス主義による社会主義革命にも繋がっていきました。
近代以降もとくにアメリカ合衆国などを中心に、「千年王国論」はその力を失う事はなく、日本でも活発な布教活動を展開している「モルモン教」、「エホバの証人」などに穏健な形をとり引き継がれています。
そして、カルト的な幾つもの中小の宗教団体は、特に冷戦時代において、核戦争を「千年王国」の実現する前提条件である「最終戦争」と同一視して待望し、「千年王国論」を重要な布教のための武器として用いてきました。