18. 千年王国の思想と運動
千年王国の思想を、社会的、政治的、経済的に抑圧された階層による、自己救済を目的とした宗教運動として広く定義するとすれば、ヨーロッパ圏に限らず世界各地の社会に個別に存在してきました。
全く別の源流を持ち、独自に発展してきた思想が、千年王国論と類似した場合も考えられますが、とりわけ近代、欧米列強諸国による植民地支配とそれに伴う伝統的な社会体制、伝統文化の破壊と、キリスト教世界観の流入、を背景として、多様な千年王国論が生じています。
すなわち、千年王国論の肝である部分と、その土地土地の民間伝承や伝統文化が融合して、多様な千年王国論が派生し、その地域に根を下ろしていったのです。
例えば、ニュージーランドの先住民族であるマオリ族の間で起こった、支配者たちへの抵抗運動はその典型です。
ニュージーランドは1840年にイギリスの植民地となりましたが、マオリ族はそれに果敢に抵抗し、戦いによって伝統文化の復活を達成しようとしました。
植民地化によって伝統的な社会体制を破壊され、政治的、社会的に抑圧される状況に追い込まれた彼らを導く指導者となって現れたのは、テ・ウア・ハウメネという預言者でした。
彼に導かれたこの運動は「ハウハウ運動」と呼ばれましたが、その実態はこれまで見てきた「千年王国運動」と同一です。
この運動は「旧約聖書」の影響下に起こり、ここでマオリ族はユダヤ民族と同一視され、神の選民と考えられました。
預言者ハウメネは自らをモーゼの生まれ変わりである自称し、ニュージーランドは約束の地であるから、この世の終末と天国の到来がこの地に実現すると説いたのです。この際、彼らの伝統的文化の要素である、食人肉の慣習なども取り入れられており、各地域の伝承風土などと融合し多様性を持つその点でも、中世ヨーロッパでのそれと同一でしょう。
その他にも、1860年代に起こったアメリカインディアンによるゴーストダンス運動は、白人たちによってその生活基盤を奪われていったアメリカ先住民たちが、その伝統的な伝承によって独自の「千年王国論」を起こし、その元で「千年王国運動」を展開していったものであるし、1880年代のインドネシアに起こったカーゴカルト運動など、「千年王国運動」に含まれる運動は世界各地で起こっています。
更に、仏教における弥勒信仰もまた「千年王国論」と共通する部分が多く、19世紀、清王朝末期の中国において理想社会の実現を目指して起こった「太平天国の乱」はその発生契機や構造など、「千年王国運動」と区別がつかないほど類似しています。
そのことは、すなわち、これまで見てきたような各種の条件が整えば、中世のヨーロッパという場所と地域を限定することなく、「千年王国運動」は起こりうるということを示しているのです。
近代民主主義は現在、宗教とは関係のない政治思想ですが、この思想を生み出したピューリタンやロックにとっては、宗教あるいは信仰抜きでは生み出し得なかった政治思想でありました。
ピューリタンの宗教が完全なものであるということではないことは現在までの歴史に結果がでていますが、当時のピューリタンが持っていた宗教的自由観は当時の絶対王制に対する相対的な価値観でした。
この絶対的価値観こそ、古い時代の絶対王制の秩序を破り、近代民主主義という国民主権の新しい時代の秩序を生み出した力(エネルギー)の源泉となったのでした。
その後近代民主主義は大きく発展し、ピューリタンの理念から変化していきましたが、ピューリタンとその他のプロテスタンティズムの理想と概念が現在のアメリカ文明の基本理念となり、アメリカの民主主義の土台となり、さらには世界的に広まっていったのでした。