26. イエズス会のミッション(伝道村)
南米のパラグアイには、世界遺産に指定された「トリニダとヘススの遺跡」があります。
この遺跡は、1608年にスペインからやってきたローマカトリック教の一派であるイエズス会の宣教師たちが現地のグアラニー族を改宗させ、そして彼等を文明的なクリスチャンに教育しようと創り上げた文化学園とも言える「伝道村」なのでした。
パラグアイの首都アスンシオンから南へ200キロほどいった地帯は現在ミシオネスと呼ばれていますが、イエズス会士はこのあたりに住んでいたグァラニー族といわれる部族の組織的改宗を目指し、村を作ってグァラニー族の人々を集め、キリスト教の教えを説くとともに、生産活動を行いました。
これがイエズス会の伝道村つまり「ミッション」(スペイン語では「レドゥクシオン」)です。
そこでは、ジャングルを拓いたところに、ヨーロッパに見られるような堅固で立派な教会堂がそびえたち、それを中心に、学校、工場、宿舎、食堂、厨房、倉庫、住宅などの建物がきれいに並んだ村があり、その回りにはバナナやマンディオカなどの畑が作られていました。
このような数千人が暮らす規模の村が10も点在し、1620年までの間に4万人に及ぶインディオがこれらの村で暮らすようになったそうです。(パラグアイのみ)
しかし、これは現在のアルゼンチン国ミシオネス州からウルグアイ、ブラジルのイグアス地域にまで及び10万人を超えるグアラニーたちが20箇所の伝道村で豊かなヘスイタ帝国を築き上げていました。
当時、南米におけるポルトガルの植民地では沢山の奴隷を使ったプランテーション運営が盛んで、グァラニー族は、バンデイランテスと呼ばれる奴隷狩り商人によって捕えられ、家畜のように売り買いされていましたが、奴隷制度がなかったスペイン領のパラグアイでも彼等のビジネスの恩恵に預かり、スペイン領土内で奴隷狩りをすることを黙認していました。そのためグアラニー族たちは奴隷狩りから逃れるために、保護を求めて喜んで「ミッション」に集まってきたのでした。
村では宣教師が政治・経済・宗教のいっさいを指導しましたが、「ミッション」がもっとも大きな成功を収めたのはその経済活動でした。
住民たちは、主食であるマンディオカ(キャッサバ芋)のほか、タバコ、サトウキビ、綿、マテ茶といった商品作物をも栽培し、牛、馬の牧畜も行われていました。
しかし、さらに信じられないような、本が印刷され、ギターやバイオリンなどの楽器からタイプライターまで製造し、ヨーロッパに輸出され、沢山の富を築いていました。
ロ-マ教皇の庇護のもと、植民地行政管も許可なくミッシオンに立ち入ることができなかったため、まさに小独立国のようなもので、インディオたちの指導者が育ち、かれらの民主的な運営の中で、収益は、村全体の共有の財産とされ、個人が所有することは許されない、一種の原始共産主義ともいえるシステムの中で目を見張る繁栄をみせたのでした。
そしてこれらの伝道村の繁栄は、抵抗の少ない改宗へも結びつき、こうした南米の伝道村は幾つかの世代に受け継がれていき、150年ほど続いたのでした。