29. イギリスの経済学者たちの試み
19世紀前半のイギリスは、ぞっとするような労働環境でした。
女子供に関係なく少年少女が昼夜をとわず鞭打たれ、1日16時間労働も珍しくはなかったようです。時には飼葉桶の中の残飯を豚と奪い合ったりするような、悲惨な待遇を受けていました。
上流階級の人間は、競争市場に勝つための産業を維持するには労働者の所得と生活水準を常に抑えるべきだと考えていたようでです。
しかし一方でこういった社会状況を変えようと理想の社会を提案する人々がいました。ユートピア社会主義者です。彼らは過酷で残酷な社会、前述のようなイギリスに見られる初期の資本主義に対する反動として、共同体的なもの作ろうと考えました。
彼らは、経済法則によって正当化された過酷な資本主義に対して彼らは勇気を奮って立ち向かいました。
彼らが極端に走ったのは、経済法則が責めを負うべき社会の状態はそれだけ耐えがたかったからだろうと思われます。ここでは「ユートピアン」と言われたイギリスの3人の経済学者についてご紹介します。
1)ロバート・オーエン
彼は、労働者の生活状態を改善するために、スコットランドで紡績工場を設立したり、北米で「ニュー・ハーモニー村(=共同村)」を建設したりした実業家です。
これらの活動は、労働組合や協同組合の発展に大きく貢献することになりました。しかし、当時は自由放任主義の考え方の方が主流で、福祉国家という考え方はまだ根付いていませんでした。
2)サン・シモン
彼は、いわゆる革命家貴族です。
フランス革命に身を投じ、軟禁から牢獄行きの後、資金を知識の探求につぎ込み、フランスのあらゆる知識人から知識を得ようとしました。
ただし、彼は自分の好奇心が旺盛なためか、浪費を続け、しばしばパトロン達に財政援助を頼むこともありました。
そこで彼は宗教ビジネスを始めました。
ここで彼は新しい社会のピラミッドを正しくするべきだという提案をしています。
このことから、労働者こそ社会の最大の報酬を受けるべきだということが導き出されますが、現状はいらない人が多く、これをどう正していくかについて彼は触れていません。
彼は、オウエンの「協同村」に似た共同組織集団へと組織されなければならないとしました。
社会を改造する処方箋まで作り上げたということですが、その処方箋は天国的な要素を含みすぎており、実践することは不可能でした。
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このように、彼らは三人とも失敗しました。しかし、ここまで名を残しているその理由は、彼ら自身があくまで理想を追い続けたことにあります。
結果よりもその過程が認められたからです。彼らが注目されたのは勇敢だったからであり、むしろ失敗したからこそ、今の社会があるとも言えるのでしょう。
ユートピア社会主義者とは夢想家である。彼らは本当に「夢想家」であった。
共産主義者とは対照的に、上層階級に対して、社会改革は最終的には彼ら自身の利益になることを納得してもらいたいと願った改革者だった。
共産主義者は大衆に語りかけ、目標達成のためには、必要ならば暴力を勧めたが、社会主義者は自分たちと同類のインテリ層、小市民層、自由思想を持つ中流市民、あるいは知的に開放された貴族に対して、自分たちの計画を支持するよう訴えた。
また、経済の改革者でもあった。こんな彼らは、勇敢であったと褒め称えられている。しかし、勇敢で夢想しているだけでは経済は成長しないのだ。
「夢想家がいなければ、人類はいまもって洞窟の中に住んでいることだろう。」
誰にでも夢があるし理想もあるだろう。しかし、多くの人はそれまでで終わってしまう。理想に向かって進むというのも簡単なようで難しい。思ったことを行動に表すというのもそう簡単なことではない。ゆえに、社会を変えるとなるとそう簡単なものではなかっただろう。
しかし、誰かが新しいことを始めることによって、それに連なって何かを始める人というのは必ずいるように思える。
一人が勇敢であることは、他人の勇気をも奮い起こす。それはこのユートピア社会主義者たちのなかでも言えることだろう。
逆に誰も何もしなければ、何も起こらないのである。
誰にとっても新しいことを始めるということはチャレンジである。成功するかしないかなんて誰もわからない。だからこそ、このユートピア主義者たちは勇敢だったと言われるのだろう。
「偉大なことをなすには熱意を持たなければならないことを忘れるな。」
とサン・シモンはこの中で述べている。知るべきことは何でも知ろうとし始めた彼。これはかなり偉大なことだろう。しかし、この知識なくしては改革、チャレンジは無理だっただろう。何かを始めるということは多くの知識を要すると思う。なぜなら、新しいことが始まるからだ。発生してくるものも今までとは違う。すべてが始まりであるがゆえに、起こりうるすべての問題を想定することができない。それに対応できるだけの能力が必要であるのだ。
オウエンやサン・シモンら、ユートピア社会主義者は、実践によって確かめることの出来ない理想社会を追求した人だ。
しかし、ユートピアは単に理想社会を追求するだけではない。共産主義者とは対照的に、ユートピア社会主義者は上級階級に対して、社会改革は最終的には彼ら自身の利益にもなることを納得してもらいたいと願った改革者だったのだ。
ジャーナリストのウィリアム・コベットは、「オウエンは、貧民の共同体を築くことに賛成している。そこからは、すばらしい平和、幸福、そして国民的利益が生まれることになっている。」と語っている。
これらのユートピアンたちは馬鹿にみえるだろうか。
ユートピアンは理想社会を追求する夢想家だ。
アナトール・フランスも述べているが、夢想家がいなければ、今の人類はなかったと思う。理想を追求する姿勢というのは、はじめは滑稽に見えるかもしれない。
しかし、理想が現実になることだってあるし、そういったことの連続で今の社会があるのだと思う。
ユートピアンたちが、注目されるのは、風変わりであったからでも、金持ちだったからでも、また、人を魅惑する幻想の持ち主だったからでもないのだ。ただ勇敢だったのだ。