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ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

33. シャルル・フーリエの産業的協同社会的新世界 集合計画都市である「ファランクス」

ユートピア人

シャルル・フーリエはフランスの偉大な空想社会主義者のひとり。

商人であった体験からブルジョア社会の悪弊を手ひどく批判した。独特の発展段階に立つ歴史観から理想社会のくることを予想し、それの社会組織を構想したが、その費用を出してくれる篤志家のあらわれるのをむなしく待ちつづけた。

代表的作品に『産業的協同社会的新世界』がある。

 同時代のサン=シモンとちがって、半分頭のおかしかったシャルル・フーリエはがちがちのユートピア主義者だった。

反国家、反産業、反リベラル、反競争、反都市ではあったけれど、私有財産を廃止したがった社会主義者とは距離を置いた。かれの描いたユートピア社会は宇宙との「自然な調和」を保ち、それは非暴力的な手段で実現できるものだった。

 

かれの提案はファランクス」という一種の生産・消費協同組合組織または社会を設立することだった。主要著作 Réforme industrielle で、フーリエは多くの支持者を集めて、その多くはこうしたミニ社会を設立しようとした(そして失敗した)。マルクス派からは毛嫌いされる。 

   

 

 フーリエの生涯と思想


 フーリエは1772年4月にフランス東北部の町、ブザンソンに、富裕な毛織物・香料商人の長男として生まれた(プルードンが同じこの町に生まれたのは37年後のことだった)。


 「フーリエは幼少の時から不正や抑圧を憎む気性が激しく、家業の商売上のことで正直であったために両親から罰せられた少年は、嘘つきを常道とする商業に対して、復習の誓いを立てたといわれる。商業に対する憎しみは、事実、彼の生涯を貫くことになる」中央公論社『世界の名著』42の解説より)

 

 「強情ではあったが、感情がこまやかで思慮深く、勉強好きの少年」(同)

だったフーリエは、測量担当の軍事技師を志したが、家業を継ぐことを余儀なくされる。

 

 1793年、21歳で父の遺産を元手にリヨンで米・綿花・砂糖など植民地商品の取引に乗り出したフーリエは、革命派と反革命派の抗争に巻き込まれ、リヨンを包囲した革命軍によって商品を台無しにされ投獄までされて全財産を失った。

「この災難によって、彼は商業に対してと同様、暴力や革命に対して徹底的に憎む気持ちを、生涯、もちつづけるようになった」(同)という。


 その後、彼は雇われ商人としてヨーロッパ各地を巡り歩き見聞を深める。しかし、彼が拠点とした商工業都市リヨンの活気とその経済的社会的矛盾、労働者の貧困を目の当たりにしたことが彼の思想形成の基礎になったようだ。


 彼は1808年に匿名で刊行した『四運動および一般的運命の理論』で、「彼自らが発見したとする社会運動の法則を、情念引力に基づいて、宇宙論的スケールで説明」(同)するが、社会的反響はほとんどなく、第二の著書、『家庭的農業的協同社会概論』を1822年に刊行するまで14年を要する。

 

さらに、1829年には『概論』を要約し読みやすくした第三の著作『産業的協同社会的新世界』を発行、情念引力の法則に基づく文明社会批判と未来の普遍的調和的社会の建設を説く(この『新世界』の校正に当たったのが印刷所の校正係をしていた20歳のプルードンで、彼は「6週間の間、この奇妙な天才の虜になった」と後に語った)。彼が65歳の生涯を孤独のうちに閉じたのは1837年10月10日のことだった。


●痛烈な「文明社会」批判


 フーリエの「文明社会」(あるいは「産業主義」)批判、つまり資本主義批判は容赦なく、辛辣極まりない。以下は、『産業的協同社会的新世界』からの引用である(訳文は中央公論社前掲書より)。


 彼は言う、『産業主義」は「科学的妄想」であり、「比例的報酬についての何らの方式も持たず、また生産者もしくは賃金労働者が富の増大の分け前に与るための保証を何一つもたずに、雑然と生産を行う精神錯乱」である、「だからわれわれは、産業の盛んな地域が、この種の進歩とは無縁な地方と同じくらいに、いやおそらくはそれ以上に多くの乞食でみちあふれているのを目にする』のだ、と。


 絹織物工場は子供を1日19時間も拘束し働かせているが、これは「事実上復活した奴隷制」だ。


 ダブリン(アイルランドの首都)の労働者は飢えで苦しんでいるが、お偉方はこの流行病にかかる心配はない、彼らがかかるとすればむしろ「消化不良」だ。飢えにも「激しい飢え」「窮乏による緩慢な飢え」「(商人が売り惜しみしたため品質が落ちて)不健康なものを食べることを余儀なくする投機的な理由による飢え」「過度の労働などによる切迫した飢え」など色々ある。


 2千5百万人のフランス人は葡萄酒を口にしていないのに、「人々は過剰生産のために、全収穫物を排水渠に投げ捨てることを余儀なくされているのだ」。
 「毎年毎年、諸国民の富に関するいくつもの新たな哲学が現れている。書物の中には何と多くの富があり、藁葺きの家の中には何と多くの貧困があることか」(A・スミスへの当てこすりだ)


 「経済学は1826年の多血症的恐慌によって途方に暮れた」、ようやくシスモンディが「消費が転倒したやり方でなされていること、つまり消費が遊び人の気紛れに基づいているのであって、生産者の幸福に基づいているのではないこと、を認めた」が、これは「中途半端な証言」だ。


 「流通は転倒しており、生産物の所有者となることによって生産者や消費者から暴利を貪り、また買い占め、投機売買、常習的詐欺、ゆすり、破産等の陰謀によって産業的体系に無秩序をまき散らす商人や卸業者という名の仲介人に行われていること、また、競争は転倒しており、賃金を低下させる傾向を持ち、また産業の発展によって人民を貧苦に導くこと、つまり、競争が激しくなればなるほど、労働者は競争相手の多過ぎる労働を捨て値で受け入れることをいっそう余儀なくされること、また他方、商人の数が増えれば増えるほど、彼らは利益を得ることが困難であるために、いっそうのペテンに導かれること、は明白ではないか?」


 「産業は、よりいっそう顕著な壊乱状態を呈している。それは、全体的と個人的との二つの利害の不一致である。あらゆる産業者は大衆と反目しており、個人的利害のゆえに大衆に対して悪意を抱いている。医師は同胞市民が重い熱病にかかることを願い、また検事は各家庭で大きな紛争が起こることを願う。建築家は町の四分の一を灰燼に帰す大火事を必要とし、ガラス屋は窓ガラスという窓ガラスを割る激しい雹を願う。……まさにこのようにして、文明社会の産業においては、あらゆる個人が大衆と意図的に反目している。これは、反協同社会的産業、つまり転倒した世界のもたらす必然的結果である」


 「産業のこうした悪循環が存在することをよく理解しているので、人々はいたるところで産業に疑問をさしはさみはじめ、文明にあっては貧困が豊富そのものから生じることに驚き始めている」。


エンゲルスの賛辞

 こうしたフーリエの「文明社会」批判にエンゲルスは惜しみなく高い評価を与えている。エンゲルスが「サン・シモンにおいて、われわれが見たものは一つの天才的な広大な視野であった」が、「フーリエにみるのは現在の社会状態に対する純フランス式な機知に富んだ批判で、しかもそれが相当深刻である」(『空想より科学へ』)と書いているのを想起されたい。


 また、エンゲルスは「フーリエは偉大な批評家であるだけではなく、彼のいつもかわらぬ朗らかな本性は、彼をして諷刺家、しかも古今を通じて最大の諷刺家の一人たらしめているのである」と最大限の賛辞を贈っている(同)。


 さらに先ほどの引用の中にある「多血症的恐慌」というフーリエの表現について、エンゲルスは『反デューリング論』で、「フーリエが最初の[=1825年の]恐慌を crise plethorique すなわち過剰からくる恐慌と名づけたのは、すべての恐慌にぴったり当てはまる言葉であった」(岩波文庫版下巻)と評している。


 また、エンゲルスは、フーリエが文明の「悪循環」と矛盾を指摘して、「文明にあっては貧困が豊富そのものから生じる」と喝破した点を捉えて、「このようにフーリエ弁証法の駆使は彼の同時代人ヘーゲルにくらべて決して劣らない」(『空想より科学へ』)と褒め称えている。エンゲルスがどれほど高くフーリエを評価していたかが分かるであろう。


●「協同社会」の見取り図


 彼が「自然的な」あるいは「調和的な協同社会」として描く未来社会も興味深く、示唆に富んでいる。

 

 フーリエによれば、「文明社会」には「二つの根源的な悪、すなわち農業の分散細分化および商業の虚偽」がまかり通っている。彼は「非協同社会的経済学、つまり分散細分化の理論」にあっては「産業における小破壊者である小生産者を鼓舞」してきたが、それはまったくの誤りだと説く。彼が最初から小生産の対立者として登場しているのは興味深い。彼には小生産者を美化したり、その体制の永続を約束することで彼らの支持をかき集めようなどという卑しむべき追従根性とは無縁なのだ。


 フーリエによれば、協同社会は本質的に「大規模な結合体」でなければならない。「大規模な結合体」にあっては「各種の職務において、われわれの小規模な世帯の複雑さが必要とする人員と器具の百分の一しか用いない」で済む。


 彼が古代マケドニア軍の方陣ファランタスからとってファランジェと名づけた生産と消費・生活全体にわたる協同体は、千八百名を最も適正な規模とし、一人当たり一ヘクタールの農地を持つ。ファランジェの住民はファランステールと呼ばれる四階建ての広大な協同宿舎で生活し、その周辺には農園、作業所、教会、情念取引所、教会、劇場などが配置されている。


 この結合体にあっては、たとえば1800名の人間のために料理を作るのに文明社会のように300人の主婦は要らず、機械を利用するためもあって十名の専門家で足り、しかも様々な種類の料理を豊富に用意することができる。


 「燃料の節約は厖大であり、また、実施不能の数多くの森林法よりずっと効果的に、森林や風土の修復を確実なものとする」し、「家事労働は非常に単純化され、その結果、主婦と召使いの8分の7に時間の余裕ができ、生産的な労働に充当できるようになる」


 こうした協同社会的結合体体には、その他にも「何もすることなく……生産をあげる」という利点がある。「組み合わされた活動休止」、たとえば漁の開始と終了時期を取り決め乱獲を防ぐことにより魚の量は2倍になる。「小さな盗みが妨げられることによる節約」も馬鹿にはならない。果実の盗難防止のために石垣を作ったり監視する労働は不要になるからだ。


 何よりも「商業制度への真実の導入」によって商業=寄生的な産業に従事している働き手と資本の20分の1だけですべては済むようになる。
 さらに、「司法官職」「軍人、税関吏、徴税吏」「召使い」等々の不生産的な人間が一掃されることによる利点も大きい。


 「実際、もし男、女、子どもが、3歳の時期から老衰期に至るまで快楽に基づいて労働するとすれば、また、器用さや情熱や機械や活動の統一性や自由な交通や風土の修復や活力や人間および動物の長寿が産業能力を無限に高めるとすれば、累積した可能性は生産高をずっと早く十倍に高めるであろう」


 それだけではない、「情念引力」(=「熟慮反省に先立って自然によってもたらされ、理性や義務や偏見等々の反対にもかかわらず、いつまでも存続する衝動」)、特に「移り気情念」「密謀情念」「複合情念」という三つの原動力を巧みに活かし総合することで、人々の能力と適性は最大限に発揮され、人類はより高度の調和的な協同社会へと飛躍するのである。


 「移り気情念」とは変化や新規さに対する欲求であり、これを活かすためにファランジェでは、人々は平均2時間単位で仕事を変え、翌日はまた農業・製造業の様々な分野で別の仕事を担う。これによって人々は一つの労働に縛り付けられることによって退屈したり意欲を失うこともなく新鮮に楽しく労働する。


 「密謀情念」とは冷静な精神と陰謀への熱中であり、これはいくつもの集団が互いに生産や品質などで競い合い相互に向上することに寄与する。「複合情念」は「盲目的な激情」「有頂天や感動の状態」であり、これは生産や人間関係における熱狂や調和を生み出す。


 こうした「情念引力」を効果的に組織し総合するには、それを発揮させるための機構が必要なことはいうまでもない。「系列機構がこのように下ごしらえされて初めて、人々は引力の諸特質、すなわち、その幾何学的な正確さや、快楽の交替による行き過ぎの防止や、美食術の洗練に比例して高まる産業への熱意および仕事の完全美や、美徳に至る手段となった富への愛着や、生産的労働への子どもの導入や、不和を全体的調和の中で用いること、および不調和の間接的和合、を垣間見ることができる」


 フーリエの「協同社会」の青写真の中には奇妙な要素や時代的制約による限界も少なくないが、資本主義社会とそこに生きる人間の本性の洞察に基づいた健全で進歩的で想像力をかき立てずにはおかない面も多々ある。


 彼の“弟子”たち、たとえばルイ・ブランやプルードンが小ブルジョア社会主義の思想を吹聴してフーリエの評価をおとしめたとしても、それはフーリエの責任ではないのだ。

 

 

<「社会主義観の変遷――民衆の苦悩と夢を映して」より>