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ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

34. 農民ユートピア国を目指したソ連のコルホーズ

1917年の革命で権力の座についた共産党は、社会主義の理念にもとづいてまずロシア国内の工業の国有化を実現させた。

 

ついで1920年代の末から30年代の初めにかけて断行したのが農村における集団化である。それまでの農業は地主や小作人による個人経営の形で行なわれてきたが、ソビエト政権は伝統的な村を基盤にコルホーズと呼ばれる集団農場を組織し、耕地や家畜や農業機械などをその共同所有としたのである。

 

コルホーズの結成にさいしては貧しい農民が利用され、勤勉な篤農家は富農として排除されることが多かった。富農のレッテルをはられた農民は家族をあげて僻地へ追放された。1930年代以後ソビエトでは、コルホーズソフホーズ(国営農場)と並んで農業の経営主体をなすことになった。もっとも農民は世帯ごとに自宅のまわりに一定の広さの野菜畑を保有すること、乳牛やにわとりなど若干の家畜を飼うことなどは許されていた。

 


【農業集団化】


 1923年,レーニンは「協同組合について」のなかで,すでに農業の社会主義的集団化の必要を説いたが,本格的な農業集団化が始まったのは第一次産業5カ年計画初期で,その基本的完了は第二次5カ年計画の終期である。

 

すなわち,1927年12月第18回党大会で農業の集団化が決定され,1928年6月コルホーズ代表者大会を開催,10月第一次5カ年計画が実施に移されて,社会主義工業化政策が推進されるとともに,ネップ期に成長した富農(クラーク)を絶滅し,農業の社会主義化を遂行するためにその集団化政策が推し進められた。

 

1928年11月,農作業の機械化を促進するための機械トラクター=ステーションの設立,1930年1月5日の「集団化の速度と集団農場建設に対する国家の補助について」の布告とともに,農業集団化は具体化され,コルホーズに対して5億ルーブルの融資がなされて国家の負担による耕地整理の実行が保障された。

 

こうして,1932年には農民経営の61.5%がコルホーズ化され,約1,500万戸の農家が総播種面積の75.5%を含む21万1,000のコルホーズに結合された。その生産高も1928年の総農業生産高の3.3%から,76.1%へ上昇した。

 


【農業集団化の障害とその後の変化】


 農業集団化は従前の農業機構をまったく破壊しようとしたもので,社会の質的変革でもあったから,一方では社会的混乱を引きおこした。

 

極貧農を除くすべての農民は高税に悩まされ,富農とみなされたものは,財産・土地を没収され強制労働所に送られた。多くの農民が逃亡し,また反抗した。

 

したがって農業生産は低下し,1930年~1931年には飢饉がおこった。

しかし,集団化は強権をもって進められ,1937年4月までに全農家の93%,2,500万戸の農家が集団化され,その播種面積は全播種面積の99%,1億1,700万ヘクタール,その生産高も全農業生産高の90%に近づいた。1949年からコルホーズの統合が行われ,その数は1937年24万9,000,1940年23万6,900,1954年9万,1968年3万6,000,1981年1万6,000と変化した。

 

個々のコルホーズは大型化し,その構成農家戸数・農地面積は増大している。1940年1コルホーズあたり農家戸数81,農地面積490ヘクタールであったのが,1968年には,農家戸数420,農地面積6,100ヘクタール(播種面積は3,000ヘクタール)となった。コルホーズが技術的経験と経営技術を身につけ一本立ちできるようになると,1958年MTSは廃止され,その農業機械はコルホーズに売却されて,修理技術ステーションに改組され,1961年設立のサユーズ=セリホズ=チエフニカ(技術公団)の一部局となった。