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ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

38. ガンジーの「インド独立国家」 ~自給自足の独立経済思想~

ユートピア人

インド独立の父として知られるガンジーが、イギリスからの独立を達成させ、インド内で対立する宗教や民族の共生共存を目指していたとは知られていますが、しかし、さらに求めていたことは昔ながらの自給自足の自立経済型農村社会を再建する事でした。

 それは、インドで近代化や工業化が現実には失業を増やし、貧困問題を大きくしている現象を目の当りにし、すべての人が食べるものや着るものに不自由しない生活が送れるようになることが、本当の独立であるとガンジーは説きました。

 ガンジーは自給自足運動の一環として、まず自分で食べるものは自分で作ろうと農業を奨励し、そして自分が着るものをつくるためにまず糸を紡ごうと自ら糸紡ぎを始めました。実際これはガンジーの自給自足運動への手本だったものが、繊維産業で絶大な経済力を誇っていた当時のイギリスへの抵抗のシンボルとされてしまいました。


 しかし、ガンジーが実際に求めたものは、人間への平等なる尊重と平等な自由であり、そのためには支配や権力からの独立ではなく、経済的自立と物質優位思想からの解放であると考えたのでした。

 

ガンジーの糸車、講演原稿より  by片山佳代子

 



インドで暮らして、「生活に必要なものは自分たちの手で生み出しなさい。自国で取れないものは欲しがるな」というガンジーの主張に出会いました。先にフィリピンで体験したようなフィリピン人の犠牲の上に自分たちが豊かな生活を送るということを止めようと思えば、ガンジーが言うような生活をするしかないのではないかと思うようになりました。日本の国土には森林資源が豊富にありますし、エビを食べなくても他に食べるものはいくらでも、農業に適した気候風土に恵まれた日本で取れるわけですから。

 

 インドでも庶民は貧しく、テントのような家で裸同然の格好で生活をする人が大勢いました。買い物に出かければ、すぐに物乞いする人々に取り囲まれてしまいます。このような光景を目にすると、自分たちが毎日お腹いっぱい食べていることすら申し訳なく感じたものです。

 

 ガンジーはこのようなインドの貧しさの原因は工業文明にあると主張しました。例えば衣類について言えば、畑でワタを育て、それを紡いで糸にし、布に織って着るという事が行われていれば、多くの人が仕事に携わり、何らかの収入を得ることができますし、衣類も自分たちで生み出すことができます。

 

ところが、工業文明のおかげで、手工業が廃れ仕事がなくなった上に、衣類もお金を出して買わねばならないものになってしまいました。そのために、着る物も満足に手に入れられない人が大勢いたのです。そして、この状況は今も少しも変わっていません。

 

 しかし、インドは昔からこのように貧しかったわけではありません。イギリスがインドを支配するようになる前は、インド製の綿布と言えば、世界の賞賛の的であり、綿布をヨーロッパに輸出さえしていました。ここで、17世紀からの歴史を簡単に振り返ることにしましょう。

 

 昔はヨーロッパでの衣類といえば、羊の毛からとったウール、毛織物でしたが、インドから綿織物が入ってくると、夏服としてはもちろん、カーテン、ベッドカバーとしても非常に珍重されました。そうなると困ったのは、イギリスの織物産業の人々でありました。イギリスは自国の織物産業を保護する必要からインドの綿布の輸入を禁止しました。しかし、それでも密輸は後をたちませんでしたので、自国で綿織物をつくることにしたのです。このような理由から、イギリス国内では育たない綿を原料とする綿織物工業がイギリスで起こりました。ちょうどその頃(18世紀後半)、機械の発明が相次ぎ(いわゆる産業革命)、綿織物を大量に作ることができるようになりました。すると、イギリス国内だけでは製品を売りさばくことができなくなり、インドに売りつけることを思いついたのです。

 

 インドの織物職人たちの目をつぶし、指を切り落とすなどの残虐なことをして、インドの手工業、綿織物を徹底的につぶしました。そして、機械で大量に生産した綿織物をイギリスから買うように仕向けたのでした。自国の製品を売りつける場として、インドがなくてはならない存在になったときに、インドはイギリスにとって単なる貿易相手国ではなく、イギリスが支配しなければならない国へと変わっていったのです。つまり、イギリスで産業革命が起こり、大量生産の社会になっていったことと、イギリスによるインドの植民地支配は切ってもきれない関係にあります。

 

 イギリスが、大英帝国として栄える事ができたのも、ひとつには、このようなインドという犠牲があったからです。インドが綿織物を買ってくれるおかげで、イギリスはどんどん生産し、売る事ができ、多くの利益をあげる事ができたのです。その結果インドは、綿織物を輸出していた国から、綿花を輸出して綿織物を輸入する国へとなってしまいました。つまり、原料を生産して製品を購入する国になってしまったのです。ここにインドの貧しさの原因があります。

 

 余談ですが、その当時イギリスの綿工業で大量に必要とされる綿花を供給したのはアメリカ南部でした。そこの綿畑で働かせるためにアフリカから大量に奴隷が連れてこられました。ですから、イギリスは、インドだけでなく、多くの黒人を奴隷にする事で栄える事ができたのです。このように、大量生産システムは、原料供給地と市場の両方が確保されてはじめて成り立つものです。

 

 産業革命に成功し、大量生産を行うようになったヨーロッパの他の国々もイギリスと同じように、植民地を必要とし、アジア、アフリカを侵略していきました。大量生産が進めば進むほど、原料供給地及び市場として、植民地がますます必要となり、ついには植民地を奪い合う戦争まで起こしてしまいました。日本が朝鮮半島、中国大陸を侵略していったのも、まさに同じ理由からでした。先の大戦で、日本がアジアで唯一侵略する側に回ったのも、その当時日本がアジアで唯一工業化を成功させた国であったからです。大型機械による大量生産のシステムを取り入れるということは、他国を侵略していかねばならないということであったわけです。

 

 この仕組は植民地が独立を果たした今も少しも変わってはいません。今も安い値段で原料を供給してくれる国があるから、日本は工業国として栄えることができています。製品の方は、国内でさばききれない分はもちろん輸出もしていますが、植民地を持てなくなった今ではそれ以上に使い捨てを奨励することで、大量に生産されるものを消化しています。その結果、ごみの問題も深刻ですし、エネルギーも浪費され、環境も破壊されてきました。

 

 また、大型機械で大量に生産するシステムでは、人手が余ってしまいます。失業者を出さないようにしようとすれば、必要かどうかを考えることなく、ますます大量に作るしかありません。しかし、作っても売れなければ、作るのをやめるしかありません。そして、人減らしが行われます。これが経済危機と呼ばれる今の状況です。このような中では人々は、失業しないために熾烈な競争に勝ち残ることが求められます。競争に勝たなければ生きていけない社会のためにストレスから病気になる人もいますし、教育も歪められてしまいました。

 

 ガンジーはあの時代にあって、工業化、大量生産と切っても切れない関係にあるこれらの問題を見ぬいていました。だからこそ、インドの進むべき道は工業化にあるのではなく、糸車を廻すことに象徴される、農村社会の再建しかあり得ないのだと主張したのです。ヨーロッパ諸国がすでにアジア、アフリカを植民地として分け合ってしまっていましたからインドの工業化は成功の可能性が低いですし、たとえ工業化に成功しても、それは他の国を犠牲にして栄えることでしかなかったからです。ガンジーはインドにそのような国になって欲しくはありませんでした。

 

さらにガンジーは、魂を滅ぼす競争に参加してはいけないと言っています。競争ではなく、協力こそ本来の人間のあるべき姿です。そして、このように協力し合う社会は糸車などを復活させることによってしか生まれないのです。ですから、ガンジーのこの糸車の思想は、多くの人が着る物にも不自由しているインドにだけ当てはまるのではなく、物質的には非常に豊かな生活を送っているが、決して幸せになれたわけではない私たちにも必要とされる思想であります。

 

 ここで、ガンジーが目指した農村に基盤を置く非暴力の社会を見ることにしましょう。糸を紡いだり、畑を耕したりして、衣類と食糧を得ていく、この基本的な営みを皆がやるようにならない限り、非暴力の社会は実現できないとガンジーは訴えました。自然がただでくれるものはみんなのものであるということを前提にして、人々が農業及び手工業に従事して、必要なものを生産し、それを譲り合えば平和に暮らしていけるのです。農村にも様々な仕事がありますが、まず重要なのは、食糧と衣類を生み出す仕事です。みんなのものである土地をみんなが協力して耕し、作物と衣類の原料例えば綿を栽培し、それをみんなで協力して加工し(穀物であれば製粉、精米など、綿であれば糸紡ぎ、機織りなど)、そうして得られた食糧及び衣類を必要に応じて分配する社会が実現できれば、これこそ地上に生じた神の王国であるとガンジーは表現しました。

 

そして、このように、衣類と食糧を得ていく仕組が整えば、自ずと他の村落手工業(紙すきや皮なめしなど)も復活してくるはずです。村の大工、鍛冶屋、靴屋なども復活するでしょう。そして、人々はこれらの職業のどれかに携わるようになります。村がひとつの単位として他に頼ることのない自立した、平和な社会が築けるのです。

 

 そのような社会を実現するためには、まず教育が変わらねばならないとガンジーは言いました。文字を教える前に奉仕の精神を養うべきであります。人のために働くことを喜びとする子どもたちが育っていけば、彼らは優秀な職工、労働者として社会に巣立っていくことでしょう。知識、学問というものを決して軽視しているわけではありませんが、何人もこれらの肉体労働から逃れることは許されないというのがガンジーの考えでした。ですから、一番手軽にできる糸紡ぎという肉体労働を、1日に30分でも良いから毎日やりなさいとガンジーは訴えたわけです。

 

肉体労働に従事しない人は寄生虫であるとまでガンジーは言っています。すべての人が8時間肉体労働に従事すれば、すべての人が十分な量の食糧と衣類、更に十分な余暇を手にすることになるのです。そして、この余暇を利用して文化も花開くでしょう。

 

 労働に従事してこそ本物の文学、本物の思想、学問が花開くというのがガンジーの考えでした。ですから、タゴールのような詩人であっても1日に30分は糸を紡ぐことを勧めました。そうすることで、貧しい人々の気持ちが理解できるようになり、今よりももっと素晴らしい詩が書けるはずだというのです。科学的知識にしても、今日のように欲望の手先になってしまったのを改めることができなければ、人にとって本当に役に立つものとはなり得ません。

 

科学の進歩と思いこんできたものによってどれほど多くの負の遺産を背負い込んでしまったか、また、大切なものを失ってきたかを考えた時、糸車を回しなさいというガンジーの主張は決してとっぴなものではなくなるのではないでしょうか。畑を耕したり、糸を紡ぐことをガンジーは建設的プログラムと呼びましたが、この建設的プログラムを始める前に非協力運動を展開したことは誤りであったと晩年になってガンジーは告白しています。晩年ガンジーは政治的な活動から身を引き、郵便も満足に届かないような僻地の村にこもり、その村を再建することに全力を注ぎました。  

 

ガンジーラスキンの「この最後の者にも」という本に強く感銘を受け、そこに書いてあることを実践しようとしました。それがサルボーダヤ運動です。サルボーダヤというのはすべての人が向上するという意味です。一人として取り残される人があってはなりません。最後の一人にまで利益が分配されねばならないのです。大多数が利益を得るためには、少数の人が犠牲になっても仕方がないという考えこそ間違っているのです。これは一言で言えば、能力に応じて働き必要に応じて分配する社会です。能力のある人がたくさん稼ぐことができたとしても、それを一人占めにするのではなく、みんなで分かち合うべきだとガンジーは主張しました。

 

競争し、奪い合うのではなく、助け合い譲り合うのが人間本来の姿であるというわけです。人の幸福は、多くを所有することにあるのではなく、満足することにあります。報われることを放棄するのが人生であるともガンジーは言っています。人々が本当に助け合い、譲り合って生きていくのであれば、大都市も大型機械も必要ではありません。

 

 私たちは、労働から解放されるのは良い事だ、楽な生活こそ理想の生活だという思いこみのもとに突っ走ってきました。しかし、労働を通してこそ人間は本当の喜びを味わうことができるものだというのが、ガンジーの思想の真髄です。次から次へと尽きることのない欲望を満たそうとしても、きりがありません。自分自身の欲望の虜になるほどの奴隷状態は他にありません。このようなことをいくら追い求めてみても、人は幸せになれないのです。欲望を愛で置きかえなさいとガンジーは言います。

 

このように人々の心が変われば、その人の生き方が変わります。そしてそのような人は周囲の人に良い影響を及ぼし、周りの人も変わってきます。そして、社会全体が変わります。これが、ガンジーの考えた社会改革です。 

 

 社会を変えようと思えば、政治権力を握らねばならないと考えがちですが、たとえそれによって社会を変えることができたとしても、人々の心が変わっていなければ、すぐにまた別の考えを持った人が選挙に勝ち、すべてが覆されることもあり得ます。本当に永続する平和な社会を築こうと思えば、人々の心を目覚めさせねばならないとして、ガンジーはそのことに全力を注ぎました。

 

ガンジーが糸車に託した思いを知ろう by片山佳代子(一部省略)