ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

41. ブラジルの弓場農場  ~生活芸術社会主義思想~ 

南米ブラジルのサンパウロからだいぶ離れた田舎に、不思議な農場が存在します。

 

そこは、強引な経済的成長を遂げてきたブラジルにおいて、変動的な社会環境や不安定な景気に振り回されることなく、様々な生い立ちの日本人が仲良く衣食住を分かち合い、土に親しみ、バレーや音楽で自己表現をして暮らす芸術村のようなところなのです。

 

 

 ここを訪れた多くの日本人旅行者がここを離れられず、日本に帰ってもまたやってきたり、中にはここに住み込んで農場の一員になったりしています。 ここにはかってブラジルに理想郷をつくろうとした多くの日本人開拓者たちの精神が受け継がれています。日本には少なくなってきた古きよき助け合いの精神が残っています。

 

 

ユバ農場はアリアンサ野球チームの合宿から誕生した。

リーダーの弓場勇は1926(大正15)年、十九才の時に日本力行会員としてアリアンサへ移住している。

 

 協同農場の取り組みは1933(昭和八)年頃からはじまるが、1934(昭和九)年に100ヘクタールの土地を共同購入し、本格的な農場を開設する。アリアンサ移住地の設計者であった輪湖俊午郎や、アメリカから再移住した長老格の瀬下登も熱心に支援している。 

 

 農場は「祈ること、耕すこと、芸術すること」を理念とし、農場員を拘束する規約はいっさい作らなかった。

 

入りたい者は誰でも入れたし、出て行きたい者を止めることもしなかった。

 

いかなる理由からであれ、働かないことを咎められることもなかった。現代日本の価値観からするときわめて非現実的な集団と思われるだろうが、この農場が激動期のブラジルで六十七年間を生き抜き、すでに三世の時代に移りながらもユバ・バレエが多くのブラジル人に愛されていることは否定しようのない事実である。芸術による人格の解放が農を支えているのである。

 

 

 ユバ農場は創設当初から日本における武者小路実篤の提唱した「新しき村」と比較され、多くの人々の注目を集めてきた。創設者たちは形で比較されることを嫌ったが、「祈り、耕し、芸術する」がトルストイの農民主義への共感からであったことは事実で、その点では武者小路実篤とも共通する大正期の社会主義的・人道主義的思想が土台になっている。

 

 やがてこの農場は村づくりの中核になって行く。ユバ農場を中心にブラジル最初の産業青年連盟が組織され、無償で移住地道路の造成に取り組み、さらに移住地農業を収奪農業から日本人らしい施肥農業へと転換させるため、ブラジル最大の養鶏場を建設して鶏糞による土壌改良を進める先頭に立った。

 

 

 農場に残る写真を見ていると、もう50年も前から子どもたちがピアノのレッスンを受けたり、絵画の指導を受けたりしていることがわかる。芸術活動を特殊なものと考えず、働くことと同様、人間の自然な営みの一部として貫いてきた姿勢がうかがえる。

 

 ユバ農場は1955年に一度破産している。そのため、同じアリアンサ移住地内の別の場所に移転して農場を再建、現在に至っている。

 

 クリスマスが来るとユバ農場は移住地全体の劇場となる。この日は、その一年間の農場生活における器楽や合唱、バレエ、絵画などの成果を発表する日でもある。美術家として著名な半田知雄や高岡由也、後に世界的画家として知られた間部マナブらがサンパウロ市から駆けつけて、クリスマスの舞台装置制作に協力している写真もある。戦後はいちはやく映画館並の35ミリ映写機を二台購入、週に一度はサンパウロ市から日本映画のフィルムを借りてきて、村人のためにトラクターで巡回映写をしている。

 

 

 バレエは1961年にユバ農場へ彫刻家小原久雄とともに移住した小原明子の指導で始められた。1965年にユバ農場を訪れたサンパウロ州政府の内務長官が舞台を観て感激、サンパウロ州十都市でのバレエ公演を要請された。これがきっかけで各地へ出かけて公演するようになる。さらに1972年、大統領夫人の招待で首都ブラジリアで公演、全ブラジルに知られるようになった。

 

 弓場勇の四女弓場勝重(ゆば・かつえ)も絵本作家として知られている。1997年、天皇がブラジルを訪問した際、勝重の「風と少女」を読んでおられた美智子妃は、勝重をブラジリアへ招き、激励されている。

(「ユバ協同農場の紹介」NPO現代座レポート・2002年12月20日発行号)より

 


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弓場農場についてのあるコメント


●そこは一種の原始共産主義のもと、26家族、約80人の日系人が暮らす共同農場で、農業の傍ら芸術活動を行っていることでブラジル日系社会では有名なところ。特にバレエは2度の日本公演も果たしたほど力を入れていて、先日の天皇、皇后のブラジル訪問の際にも披露したとか。

 

●私が滞在していた当時、ほかに同じライダーが3人、バックパッカーが4人、計8人も旅人が集まっていました。ふらっと訪ねても快く受け入れてくれて食事と寝場所を提供してくれるので、長旅の疲れを癒すにはもってこいの場所なのです。そのかわり農場の仕事を手伝うことになってるけれど、みんな居心地の良さについつい長居をしてしまう傾向にあります。

(オートバイで旅するライター滝野沢優子)