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ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

29. ドイツの学生たちが作った生活共同体(WG) ~自主共同管理の学生寮~

 


 Yuko, komm bald wieder hierhin zurueck!! これは私が留学期間大半の時を一緒に過ごしたWG(Wohngemeinschft=生活共同体)のメンバーが最後 に私に言ってくれた言葉である。この1年、多くの事を体験できたが、この メンバーに出会い、ここで生活できた事は私の留学生活に一番の影響を与 えた事であり、そして印象に残っている事でもある。ある1つのWGについ て書く事は大きなリスクを伴なうと思うが、自分なりにその事について述 べてみたい。 

 私はドイツに来た当初、私立の学生寮に住んでいた。ドイツの寮という のは日本のそれとは違い、集団で何かをするという事が全くない。そのた め、学生相互のコンタクトも皆無に等しい。自分で積極的に話しかけ、皆 で何かをするという事を企画する事によって、以前より関係はよくなった。 寮に長年住み、すでに各自の生活を持っていた彼等と自分の期待していた ようなコンタクトをとる事はいつまでたってもできなかった。クラスメー トがWGに住んでおり、その存在を知っていた私は思い切って引っ越しを する事にした。
 しかし、WGに入居するというのは、そんなに容易な事ではない。まず、 大学の掲示板から、入居者を募集しているWGを探す。そして、電話でイ ンタビューのアポを取る。WGに行き、メンバー全員からインタビューを 受け、メンバー全員の承諾をもらって初めて入居できるのだ。このインタ ビューはWGのメンバーが入居希望者と話す事によって、その人がWGの 生活に順応できるかどうかを見る為にあるので、かなり多くの事を質問さ れる。外国人であり、また、つたないドイツ語を話す私はインタビューど ころか電話の段階で断られる事も多かった。それでも、WG探しを続け、 ひとつのWGからOKの返事をもらった時は涙の出るほど嬉しかった事を 今でも覚えている。
WGの設立は1968年である。ドイツではその頃、社会主義、共産主 義に共鳴する学生が、保守的社会に反発し、学生運動を行なっていた。又、 米国からロックン ロール、コミューン、麻薬などを通じて、自由主義の 思想がヨーロッパに伝わったのもこの頃であった。そのような時代背景 の中、‘共に住み、全てを分かち合う’という主義のもと学生達はWG を設立させた。住居・食事だけでなく、資産もが共有であったWGは、 両親の世代とは異なる生活様式を用いる事も意味し、70年代には世間 から受け入れられていなかった。
 現在では、このような主義を目的にしたWG(Wohn-WG)は少なく、 経済的に安く住める事を理由に作られたWG(Zweck-WG)がほとんど である。WGでは寮や一人暮らしに比べ、学生相互のコンタクトがあり、 同時に自分のプライバシーを保つ事もできる事ため、学生からの人気が 高い。WGと日本の寮と最も違う点は、ここではリーダー的存在の人が いない事である。メンバー全員が同じ立場にいる。重要な役割は皆で分 担されている。WG会議というものがあり、そこでは問題、新しいルー ル等について皆で話し合う。年齢、国籍は関係なく、筋が通っていて、 皆の納得がいくものである意見ならば、採用されるのだ。このように、 一人一人の存在がとても重要なWGであるから、入居前のインタビュー は欠かせないものであろう。
 WG生活のメリットは多い。まず経済的なものがある。私が暮らした WGでは、居間・台所・バスルームが共同で、各自はそれぞれ個室を持っ ていた。電話(メーターが電話機についており、自分の通話料がわかる) ・テレビ.・ビデオ・洗濯機・乾燥機・オーブン・電子レンジ等、共有の ものは多くあった。留学生という身で、自分の持ち物が少なかった私は 自分の負担をあまりする事なく、快適な生活が送れた。また、精神的メ リットもある。各自で時間割を組み、学年制というものがないドイツの 大学では、孤独になりやすい。(日本であれば、家にいる時ぐらい自分 の時間が欲しいと思ってしまうが)事実、親から独立し、大学で勉強を 始めたばかりの学生の自殺率はとても高いそうだ。帰宅して誰かがいる、 病気ならば、看病してくれる人がいる、食事の時、会話する人がいるWG は家庭的役割を果しているといえるだろう。
 WGのメンバーが男女10人、19歳から40歳近くまで、またドイツ、 ポーランド、台湾、中国と多国籍であった為でもあろう、私はさまざま な事をここで学ぶ事ができた。ドイツ人学生の生活が直に見られた事が その一つである。そこで、彼等の勉強量の凄さに気づいた。彼等の勉強 とは課題や予習をこなす事ではない。多くの本、雑誌、新聞を読む。仲 間との勉強会を開く。普段の些細な事から政治等の難しい内容まで、さ まざまな内容について討論する。彼等の生活そのものが勉強なのである。 そして、誰もが自分の専門科目に誇りを持っている。少しでも、その事 について質問をすると、目を輝かせて語ってくれる。学生の本来あるべ き姿というものをドイツ人の学生生活を通し、考えさせられた。
 ここではまた、まだ残る東西ドイツの差というものも感じられた。旧 東独出身者の食事、服装、物への価値観、旧西独出身者のそれに比べ、 はるかに質素である。これはお金があれば変えられる事でできるが、彼 等が西の人に感じているコンプレックスというのは、とても大きい。外 国人であるならば、ドイツ人と違いがあっても、自分は外国人であるか らと開き直ることもできるであろう。40年の歴史を全て忘れ、西に追 いつかなくてはならない彼等にはそれができないのだ。私が、Bielefeld で知り合った旧東独出身者は、みんなとても親切であった。これは、彼 等が外国人以上に“異国の地”で生活する苦労を知っているからではな いだろうか。

 このWGで全く問題がなかったわけではない。例えば、ドイツ人(ヨー ロッパ人)とアジア人の対立の問題があった。何年間もドイツに滞在して いる他のアジア人は、同胞との団結が固く、ドイツ人とのコンタクトに あまり重点をおいていなかった。ドイツ人としては調和を乱す彼等の態 度が許せなかったのである。1年という限られた期間だから、私は誰と でも付き合っていく事ができたが、長期滞在することになったら、どう なったかわからない。 やはり同胞の人とのコンタクトを優先させてしま うかもしれない。
 けれども、誰とで喜んでコンタクトを持ち、他のアジア人の立場も理 解する事のできた私は、皆から本当に親切にしてもらえる事ができた。 (最年少で精神的に未熟だった事もあるだろう。)テスト前にはWG総 動員で特訓してくれたり、色々な料理を食べさせてくれたり、日本につ いての記事、番組を見ると教えてくれたりと。寮生活はつらかったが、 ここでの生活は本当に素晴らしかった。もちろん、それは寮のつらさを 知っている故、感じる事ができたのかもしれない。

 WGでの生活、そしてドイツ留学全体を通し、つらい経験から、何か を学び取り、そこから解決策を見出す事を学べた。このことは、これか ら自分を形成する上で、大切な一部となってくれるであろう。
 最後に、私を励ましてくれたWGのメンバーや現地、日本の友人達、 ドイツの家族的存在であったFamilie Neuert、留学の機会を与えて下さっ た先生方、そして常に私を見守り、支えてくれた家族にこの場を借りて 感謝の意を表わしたい。