ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

35. 建築家たちが描いたユートピア都市 ゼロから建設されたブラジリア

 

 ブラジリアは、街全体がひとつの芸術品です。なにもない荒野に天才芸術家や建築家たちによって描かれ、近代的な建物が設計されました。

 そこには、近代建築の巨匠と言われたル・コルビュジエが、あまりにも歴史や伝統がありすぎるヨーロッパでは実現不可能だった理想とする都市の構想を全部盛り込んで造られた理想的近代都市なのです。




 ブラジリアは、セラードという何もない荒れた平野に、ブラジルが誇る天才芸術家たちによって「飛行機」の形をした大胆な近代都市が、自然と完璧なまでのバランスを取りつつ描かれています。 そしてこの町こそは、飛行機産業から宇宙開発へと未来に羽ばたこうとするブラジルを象徴する未来都市なのです。
 特徴の一つに荒野の中の激しい乾燥気候を多少でも水分の潤いある環境を作るために巨大な人造湖で町の中心を翼で覆うように設計されて造られています。このブラジリアの都市工学モデルは多くの専門家の研究対象にされてきました。


 ブラジリアはブラジル国家の行政的頭脳とて機能し、さらにここに暮らす国会議員や幹部公務員の子供たちをブラジルの将来のリーダーとなる人材として育成する場所として一種の学園都市的な国家教育の中心となる役割も特徴のひとつです。さらに、ブラジルの首都がこの地に建設されることを神の意志だと予言したドンボスコの影響で、多くの宗教団体や社会福祉団体などがブラジリアに拠点を置くようになったため、様々な団体のコレクションのような集中ぶりが見受けられます。

 たった3年で建設された奇跡的な出現から多くの謎を秘めた都市としても関心を集めていますが、特に古代エジプトの都市と共通したデザインや考えかたも取り入れられていると言われ、 ピラミッド型の建物も多く見られます。そして新興宗教や、伝統魔術などを伝える多彩な団体の本部などがいたるところに見られ、南米の霊的首都としても知られています。

 



 ブラジリアの誕生


 1956年にブラジル大統領となったジュセリーノ・クビチェックはリオにあったブラジルの首都を国内の中心部に移す計画を選挙公約として当選したことから、なにもない荒野の建設予定地にテントをはって自ら乗り込み建設工事を指揮し、そして計画通り1960年4月21日に遷都を行いました。 ブラジルでは、大統領任期である4年以内に事業が完成できないのであればその事業は始めから手をつけないほうがいい、という考えが政治界での常識であったので、1年目は設計と積算の準備期間とし、2年目から建設工事をフルピッチで進めて4年目に首都として機能する都市を完成させたわけです。 なにもなかった荒野のまっただ中に、たった3年で近代的な未来都市が造られたのです。 当時は20世紀最大の奇跡とさえいわれ、世界中の注目を集め、わずか38年間で世界遺産に指定された前代未聞の町です。 またブラジルはこれをおおきなインセンティブとして国をあげての工業化を図り、全国的な近代化を進めました。 その結果、歴史の浅い新世界の途上国の中から中進国に位置付けられ、南米大陸においてリーダーシップをとる国となっています。



“ブラジリアには都市としての起源と歴史がない。広々とした大地に巨大な造型が横たわる。それはあまりにも唐突で、一種不自然で、ヒューマンスケールを超え、人間を圧倒する。しかし視線を少し上げると、このランドスケープの延長上には広大な大地が広がり、そしてそれ以上のスケールで広大な天空のパノラマがこの都市をおおっている。そのような大きな風景の中では、この巨大な造形も、人々が託した開拓の精神の象徴として、人間的にするも感じられる。”(伊藤寛、「ブラジリアの現在、そして、未来」より) 

 ブラジリアの都市計画 -神話的特徴-


 ブラジリア建設を夢に大統領に当選したクビチェック大統領は、新首都建設のために「連邦新首都建設公社」(NOVACAP)を設立し、チーフアーキテクトにニューヨーク国際連合本部ビルの構想にも参加したオスカー・ニーマイヤーを任命していましたが、このニーマイヤーは、都市計画デザインを決めるための「新首都パイロットプランナショナルコンクール」を大統領に提案しコンペを開催させました。

 この1956年に行われたコンクールにリオデジャネイロ国立美術学校(建築学部も含む)の校長もしていた ブラジル人建築家で都市計画家のルシオ・コスタが参加しましたが、彼は、彼特有のフリーハンドのスケッチが挿入されたほとんど図面らしきもののない分厚いテキスト仕様の他の建築家のプランとは大きく異なる都市計画案を提出し、これが採用されました。そしてこの独特の手書きタッチの図が多くの神話を生み出し、それが現実化への道をたどり、そして新たな神話へと進展しているのです。




 コスタ案を採用したブラジル政府は、パイロットプランの形態を「奥地への開拓を進める意味をもつ飛行機の形」と表現しています。飛行機は文明の象徴であり、飛行機なくしては存在しえない都市であることも意味されています。また、コスタのスケッチ原案は、ブラジル原住民が狩猟に使う弓矢をも連想させますが、文化人類学者のミルチャ・エリアーデは、矢を放つ行為は人類が最初に行った「空間の征服」を意味すると言っています。  矢は、その超自然的な速度と威力から呪術的な意味をもつことはよく知られていますが、世界各地の神話ではしばしば落雷と同一視され、即発的に空間を切り取り、天と地を交流させるものです。矢は、新しい地平を指し示し、切り開くにふさわしいシンボルとなります。コスタの提案したブラジリアの絵は、このような原初的なイメージや象徴性を潜ませることによって、神話的な力を得ているといえるでしょう。



 もう一つの神話的特徴は、計画案がル・コルビュジエという20世紀にもっとも影響を与えた近代建築の提唱者の理想を、ほぼ純粋な形で具現化していることです。それは現代の建築神話です。ル・コルビュジエは、「輝く都市」や「ユルバニズム」に代表される著作の中で、秩序ある都市計画に基ずく理想的な都市像を繰り返し提示しています。その都市計画は、20世紀初頭にすでに混迷をきわめていたヨーロッパの大都市の問題を解決するための方法論でした。

 計画の中心となる基礎構想の一つはモータリゼーションへの対応を念頭においた、整然とした交通システム(道路網)の構築です。ル・コルビュジエは「パリ、ローマ、イスタンブール...これらの都市は、ロバの道にしたがって建設されている。首都には動脈がない、毛細血管ばかりだ」と表現する、窒息状態の大都市を、現代の叡智によって秩序ある都市へと再建するものでした。それ故に、1925年にはパリのような既存の大都市の上に、理想的な計画都市を重ねてみせ、比較することで未来のあるべき都市像を提示して見せたりしました。しかし、膨大な歴史的集積をもつ既存の大都市では、自動車交通網を基盤とした新都市の建設は不可能に近く、彼の理想都市は実現しませんでした。その思想が継承されたのは、ロバの道どころかまったく何もないに等しい大地に、新しい絵を自由に描くことのできたブラジリアだったのです。


 ル・コルビュジエの都市計画には、交通軸を中心とした計画、速度の異なる交通の立体交差化、歩道と車道の分離、ゾーニングや、スーパーブロックによる居住空間の機能的な区分け、ピロティ形式(一階部分の吹き放ち)による集合住居、都心部における植樹面積の増加などが建築的要素として挙げることができます。そしてこれらの要素の多くがブラジリアには積極的に採用されています。その結果、ヨーロッパでは実現できなかったル・コルビュジエの理想都市が、ブラジルにおいては奇跡的な形で誕生したのです。完成したブラジリアを訪れたル・コルビュジエは、「これこそ近代都市だ」といったそうです。それは建築だけではなく、基盤となった都市計画そのものについての感想だったことでしょう。