ユートピア研究

『見つけ出すもの』ではなく『作り出すもの』、それがユートピア

28. イエズス会が築いた楽園「ミッション」

 イエズス会を創立したロヨラの奉仕の精神と情熱は大変なもので、そして彼等がインディオたちを指導して南米に築き上げた「ミッション」(伝道村)はまさに情熱と努力の賜物として出来上がった「地上の楽園」でした。


 しかし、このようなことは、牧場主、植民地政府、スペイン、ポルトガルの利益に反するものでした。


 スペイン領土では奴隷を労働力として開発を奨励するポルトガル側と違い、エンコメンデ-ロというシステムで、住民から厳しい徴収を地方ごとに義務付け、スペインの収穫畑として南米を監督していたため、インディオと共に文明を築くなどというのは一種の革命行為のようなものがありました。

 このため、こうしたイエズス会のミッションの繁栄はやがてポルトガルの奴隷商人や、それの利用者である開拓者や地主、そしてスペインの行政当局から激しい反発を招くことになり、さらに、イエズス会とその「伝道村」はスペインとポルトガル両国の領土争いに振り回されました。


グアラニー戦争

 1750年、両国はマドリード条約を締結し、ポルトガルはラ=プラタ地方から手を引く代わりに、ウルグァイ川以東の地をスペインから手に入れることになりました。その結果、ウルグァイ川以東の地にあった「ミッション」に住むグァラニー族はすべて村を放棄してウルグァイ川の西に移住することを迫られました。

 現地のイエズス会士はこの決定に強く反対しましたが、ローマのイエズス会本部は条約の決定に従うよう指令を発しました。

 

スペイン国王はイエズス会総長に圧力をかけ、アルタミラノ枢機卿アスンシオンに派遣して、条約の履行を促しましたが、グァラニー族の反抗は激しく、スペイン・ポルトガ両国はついに連合軍を送り込み、力づくで「ミッション」の壊滅させました。


 この「グァラニー戦争」で連合軍はグァラニー族を敗走させましたが、それは同時に、イエズス会の終幕にもつながりました。ポルトガル・スペイン両国内では、あいついでイエズス会士の追放が行われ、1768年にはパラグァイのすべての伝道村からイエズス会士が姿を消しました。

 

そして、イエズス会そのものの活動も、1773年の教皇命令によって幕を閉じたのです。

 



 現在、パラグアイ南部の一帯と、アルゼンチンのミシオネス州、ブラジル南部リオグランデ州、そしてウルグアイなどには、イエズス会グアラニー族たちを改宗して作った「地上の楽園」の跡が、遺跡としてジャングルの中に残されています。

 そして彼等の考えや文化、宗教、伝統などを変えてしまったイエズス会の宣教とは、結局、力ある者の制圧であり、自分達の宗教を押し付けるエゴではないのかという、人道的な問題が問われる面がありますが、実際には、もしこのイエズス会の宣教活動と伝道村がなければ、グアラニー族たちは奴隷にされて、結局強制的に西洋文化に同化させられ、改宗させられていたのではないかと考えられます。そしてこの場合は人権も選択権もないわけですから最悪の結末であったと思います。

 しかし、伝道村のインディオたちはスペイン政府とイエズス会本部の命令に反抗して「グアラニー戦争」を起したように、選択ができる状態にあったわけですから、改宗も自由な選択の結果として受け入れられてきたようです。

アルゼンチンのミシオネス州イエズス会の遺跡には、「この地を守るためにポルトガル人たちと戦った勇敢なグアラニー族のおかげでここはアルゼンチンの州として現在に至っている」という意味の記念碑が立てられているそうですが、彼らはアルゼンチンのためではなく、自分達が奴隷にされず自由に生きるための選択として戦ったのだろうと推測されます。

 しかし、注目したいのは、これらの遺跡は、異人種と異文化の人間がお互いを受け入れあうことによって、仲良く共生できる社会を築くことは可能だということを実証している点です。

 

そして、人間はたとえ血統や民族が違っても教育と訓練によって同じような技術や知識を身につけそれを活かした生活をすることができるのだということです。


 ジャングルの中に中世期のヨーロッパの建築物が点在し、先住民たちがヨーロッパ以上の工芸技術や生産性を身につけて暮らしていたことは、人間がもつ習得力と情熱をもった教育のすばらしい可能性について認識させられます。

 しかし同時に、これらを破壊したのは、そういう理想卿の繁栄を妬み、また、インディオたちを教育しないことで使いやすい労働力として維持しようとするエゴイストな人間たちであり、彼等が権力を使ってこういう搾取と利権維持の歴史を守ってきたという悲しい事実を見せているのではないのでしょうか。

 


優秀な人材を生み出すイエズス会の学校

 イエズス会は現代においても使命感をもった人間を世に送る教育をするところとして知られています。

 

日本では上智大学イエズス会の代表的な教育機関となっていますが、世界中いたるところにイエズス会の学校はあり、その卒業者たちは世界各地でリーダーとして活躍しています。

 ひとつの例として、日本で話題の実業リーダーであるカルロスゴーンは、ブラジルのアマゾン地方(Rondonia)に生まれたレバノン系移民の子供でしたが、16才の時に親元を離れてひとりでレバノンに行き、そこにあるイエズス会系のノートルダム高校に入ります。そしてこの学校で彼にとって一番大きな影響となった「ミッション」を受けたといわれます。

 それは、神から命を授かり、この世に生かされている自分には、生きている間に何をすべきかを定められた「ミッション、使命」があるということです。

 

経営者という仕事についていなければ、教師になっていたというゴーンは、異国の日本に暮らし、日本人とのコミュニケーションを大事にしながら日産の再建を「ミッション」と感じて激務に励んだのですが、この姿は、同じイエズス会の「ミッション」としてジパング(日本)で布教に一生を捧げたフランシスコ・ザビエルと共通したものが多いとみる人もいます。